Ninjin History Blog

広島県福山市近辺の歴史について書いてます

菜の花と杏(あんず)の花の物語

「なのはな」と「あんずの花」が織り成すふるさと物語

               (*^^*)

 

昨日、家内と二人で田尻の菜の花畑を見に行ってきました。

菜の花祭りは実は先週。

昨日は薄曇りで少し肌寒い天気でしたが、黄色い菜の花を見ることができて元気がでました。

来週は田尻では杏(あんず)祭りがあります。

◆調べたらあんず祭りは来週でなくて、なんと今週(今日)でした。

Σ(・ω・ノ)ノ

https://bingo-fukuyama.com/archives/14779


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「なのはな」2023/3/19作詞・作曲


なのはな - YouTube

 

さわやかな春の風に揺らいでいる

菜の花が咲いて明るく光る

    さわやかな春の風に揺らいでいる

    菜の花が咲いて明るく光る

ゆらゆらと微笑んで

春の海と空と風に揺らいでいる

    ゆらゆらと微笑んで

    春の海と空と風に揺らいでいる

 

田尻にある高島小学校にはかつて2年ほど勤務した。300年ほど前に中国から鞆の浦を通って入ってきた杏(あんず)を移植し導入したところ、(これ調べたら、天和元年1681年豊後国大分県のほうから田尻にある円明寺のご住職が種子を持参してこの地に植えたのだそうです。ごめんなさい。)この田尻の土地の気候や土壌にうまく適合し、やがて田尻は広島県のあんずの名産地となっていったとのこと。

 

例年子ども達のオレンジ色のあんずの実を描いた絵が町のあちこちに貼り出され、あんず祭りを盛り上げる。小学校の近くの農協(JA)には売店が出てにぎやかになる。  山道は初めての人にとっては、今まで辿ったことのないような斜面の道だろう。何度か足を運んだが、自然の風光に飽きることがない。まさに桃源郷のようなあんずの里がそこにある。

広島県のあんず生産の標準地となっているあんずの畑に沿った道(そこがメインストリートになる)にもいろんな売店が並び、何度かあんずの実のはいったうどんを食べたことがある。あんずの苗も売っている。

 

そして、そこを少し行った先にあんずの発祥の地とされる円明寺というお寺が立っている。

 

高島小学校の時にふと思い浮かんだメロディーに言葉を紡いで「あんずの花の歌」という一曲のふるさとソングを作った。

参観日のとき、教室に来られたお母さんたちの前で教え子と一緒に歌って聞いていただいた。私はそれで終わるかなと思っていたが、たまたま読み聞かせのボランティアの方にその歌を紹介したら、目を輝かせて喜ばれ、その方に、毎月練習している公民館の「ママさんコーラス」に来て是非歌って欲しいと誘われた。


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ものはためしと思って顔を出したところ、合唱の指導に来ておられた女の先生がその場でピアノを弾いてみんなで歌う場面を作ってださり、楽しいひとときをすごした。伴奏しながらみんなと歌った後で、その方が「あらとっても素敵、いい歌ね」と言ってくださった。

 

転勤で次の小学校に勤務するようになるのだが、なんでもママさんコーラスが小学校の学習発表会か何か地域の方も参加するイベントで歌ったのだそうだ。

それが子ども達の気に入ったらしく、次の年から毎年、小学校で子ども達が歌う歌に加えられ、今年も2月の今月の歌になって、練習しているそうだ。(*^^*)


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元気があって未来に向かって夢を持って頑張ろうというメッセージを込めた歌だ。2番3番の歌詞には、あんずはもとより、菜の花やふるさとの特産になっている「田尻なんきん」や、綺麗なオオムラサキや、地域の郷土芸能で、子どもたちが演ずる神楽やはね踊りのことなどを織り込みふるさとの良さを率直に表した歌になっている。

 

◆田尻なんきんについて

https://anzu-tajiri.jp/2019/08/%E7%94%B0%E5%B0%BB%E3%81%AA%E3%82%93%E3%81%8D%E3%82%93%E5%8F%8E%E7%A9%AB/

 

本当は初め作ったばかりの時は、1番の歌詞で終わっていたのだが、ママさんコーラスで歌った後で、読み聞かせの方に、このままでは短いのでどうか続きを作詞してくださいと熱心に頼まれたのだ。えっと思ったけれど、いろいろ考えて3番まである歌に作り直した。頼まれなかったら決して3番まで歌詞のある歌にはならなかっただろうな・・・。ということから、これは私だけの力で作った歌ではないと単純に思っている。

(*^^*)

田尻の里に置いて歌って初めて輝く歌になると言えると思う。


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2番3歌の歌詞を考えて作りながら、あんずの花とあんずの実が紡ぎ出すふるさとのイメージがどんどん膨らんで、とても楽しく懐かしい思い出になっている。(*^^*)

 

ママさんコーラス


あんずの花の歌(ママさんコーラス) - YouTube

 

「あんずの花の歌」(全曲)


あんずの花の歌(1~3番) - YouTube

 

        「あんずの花の歌」

 

田尻の山に咲く あんずの花かおり

明るい春の光がさしてくる きらきら笑顔

田尻の山に咲く あんずの白い花

ぼくらのふるさと明るい未来に きらきら笑顔

 みんなでふるさとのすばらしさ 歌うたおう

 海からそよ風が吹きわたり 踊り出す

 


雨上がりの空に 大きな虹の橋

ぼくらの夢があんずの花のように きらきら光る

田尻の山と海 みんなの夢のせて

明るい笑顔あんずの実のように きらきら光る

 田尻のふるさとを 美しい蝶が舞い

 神楽とはねおどりぼくたちも 舞い踊る

 


黄色いなの花が 一面に咲いてる

明るい春のあたたかな一日 きらきら笑顔

夏の日差しあびて ぐんぐん育ってる

田尻のなんきん育む人々 きらきら笑顔

 みんなでふるさとのすばらしさ 歌うたおう

 海からそよ風が吹きわたり 踊り出す えいやっ!

 

 

※メロディーのリズムと言葉の音韻の関係から「あんずの白い花」としましたが、あんずは淡いきれいなピンク色です。山に咲くあんずの花を遠くから見ると、目に生えて明るく映ることから、あえて「白い花」と歌うように歌詞を編みました。・・・独り言。(^_^)

 


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追伸

あんず発祥の地として記念されるお寺の名前は「円明寺」ですが、何年か前、あんず祭りの時にそこで抹茶をご馳走になりました。(*^^*)

http://satoseigaen.hs.plala.or.jp/saito_5/fu_shan_shi_tian_kao_tingno_shi_ji_xunri/peji/fu_shan_shi_tian_kao_ting_xing_fa_xiangno_de_(si)_ming_si.html

 

《 田尻の里に関する郷土史的なささやかな考察 》

高島小学校に勤務するようになる前のことだが、私は家内とドライブでどういうわけか田尻の八幡神社に行ったことがある。車を止めて、神社から裏手の山道をずっと登って、頂上まで行った。戦争中はこの辺までサツマイモ畑だったとか、何か案内板にあったような記憶がある。

近くの小学校の名前は高島小学校。普通、田尻にある小学校なので田尻小学校になるだろうに、どうして高島小学校なのかなとその時ふと心に浮かんだが、その時はそのまま素通りしてしまった。

私の勝手な想像だが、この田尻は実は古事記に出てくる神武天皇の東征のとき、数年間居留したという伝説がある吉備の高島の比定地(考古学上で、ここではないかと言われる候補地)のひとつなのだ。

比定地はいくつかある。内海町の田島、内浦小学校の近くにある皇森(こうもり)神社にも吉備の高島の伝説があり、記念碑が立っている。松永のほうにある潮崎神社も比定地のひとつだし、浦崎にある王太子神社もそうだ。地図を頼りに、自分で直接行って山道を歩いて探し回ったことがある。その他岡山県にも数ヶ所、歴史好きの人にとっては興味が尽きない。

https://www.buccyake-kojiki.com/archives/1070480682.html

私の当てずっぽうだが、神武東征が史実と仮定して、「吉備の高島」伝説がいわゆる吉備の国(岡山県西部~広島県東部)に数ヶ所その伝説が色濃く残っているということから、神武東征の際の居留地は一ヶ所ではなく、いくつかに幅広く拠点が分散していたのではないかとか、居留は一度だけだったのではなく補給の関係などで、何回か波状的に展開したのではないかなどと考えたりしている。

それはともかく、田尻の地域の歴史を大切に思ってこられた方たちの、ふるさとに対する「思い」が込められ、小学校を「高島小学校」としたのだろうと私は推測している。

今ではどれだけの方がそういうことを考えるか分からないが、ふるさとを大切に思う気持ちが、そのようなところに現れているのではないだろうかと私は考えている。

その後、高島小学校に勤務するようになって、子ども達が歌う校歌を初めて聞いた。

「吉備の高島その昔  御船とどめし宮の跡」と始まる、その校歌を聞いて、私のふと考えていたことが、的はずれではないなという思いがピンときた。

歌詞を読み解くと、吉備の高島は神武天皇の東征の際の居留地である高島の意味、御船は福山藩初代藩主の水野勝成の船をとどめおいた史跡のことと思われる。

https://anzu-tajiri.jp/portfolio-items/ohuneiriato/

https://anzu-tajiri.jp/map/

記念碑がもう閉園してしまったかつての高島幼稚園のところにあるが、勝成愛用の大きな船を止めた「もやい石」がそのすぐ近くのせせらぎの影にひっそりと佇んでいて、私は何度もそこに足を運んで眺めたり写真を撮ったりしたものだ。

八幡神社はそのような過去の先人の記憶を刻み込んだ田尻の里の人々の心の拠り所と言える。ちょうど八幡神社に行った時、焚き火が炊かれていて、宮司さんがおられたので、私はふと「何をなさっているのですか?」と聞いた。なんでも春分の行事を行っていると答えられたような記憶がある。焚き火を眺めながらなんとなく、徹夜でその行事をなさったのかなとふと感じた・・・。暦に従って一つ一つ古(いにしえ)の習わしをきちんと忠実に行っている宮司さんのように思えて、その姿がなんだかまぶしいような、こちらが粛然とするような感動を覚えたことを思い出す。なぜ、そう感じたのかは、自分でもよくわからない。

その後高島小学校に勤務するようになるのだが、何かあるとその時の事を思いだし、実際にはほとんど子ども達と接していたのだが、いつも地域の方が小学校を温かく見守ってくれているからこそ、私もこうして先生ができるのだなと思えるようになった。

2年ほどで別の小学校に異動するのだが、私はどこに行っても、高島小学校で感じた地域の人たちの「思い」を感じることができるようになった。高島小学校は、そんな思い出がつまった懐かしい小学校なのだ。

そんなこんなが私にとって、「なのはな」と「あんずの花」が織り成すふるさと物語なのだ。

2023/3/19 記

 

内海小学校に勤務していたとき、地元の浜に伝わる地名から神武東征に関する情報にぶつかり、思索を巡らしたが、その思い出を綴ったエッセイがこちらです。(*^^*)

https://historyninjin.hatenablog.com/entry/2022/10/16/235039

 

2023/11/14追記

高島小学校の3、4年生の児童がもうすぐ行われる学習発表会で「あんずの花の歌」を歌うことになりました。こちらからその歌声が聞けます。

https://historyninjin.hatenablog.com/entry/2023/11/14/191340