「広島の日に寄せて」
◆平和を築くまで◆
写真は広島の平和公園の中にある、学徒動員慰霊塔だ。いつだったか平和公園に行った時、原爆ドームから記念館のほうに向かって歩いて行くと、元安川を渡る手前に女神像らしき像が祀られている慰霊塔があった。それまでは、よく見てなくて意味が分からず通り過ぎていたのだが、ある時文字盤に「学徒出身校」の文字が目に入り、ふと立ち止まった。
つらつらと眺めて行くと福島県の文字が目に入った。そして学校名を追っていくと「白河女(白河高等女学校)」の文字が目に飛び込んできた。
私を生んでくれた母の出身校だった。
するとえもいわれぬ感覚が私を襲ってきた。
若い女学生がはるばる私のふるさとからやってきて軍需工場などで懸命に働いていて被爆し、熱に焼かれ、悶え苦しんで行った様が、目の前に映し出されるような感覚を覚えたのだ。
同郷の女学生の人たちが広島に来ていたのだ。そしてあの日、原爆の惨禍に包まれて亡くなっていったのだ。
初めて女神像を見たとき、錆びがついて暗い中に立っていたため(天気の加減だったと思う)、おどろおどろしい感じがして目を反らし、何の慰霊塔かも確認しないで通り過ぎていた。ようやく何度目かに平和公園に行った時、やっとこの塔の前で立ち止まった。
今思えば、あれは何だったのだろうと思う。
立ち止まって真っ直ぐ見たら、清楚な女神が片手に花を持ちもう片方の手を宙にうかべ、死んだ人の魂を抱いて天に導くかのようだった。
それから私は平和公園に行くと、決まってこの慰霊塔を一巡するようになった。そして決まって「白河女」の名前を目に刻み、女神を見つめ、静かに佇んで少し考えて、次のところへ巡って行くようになった。
何度目かに女神を見て、初めてその穏やかな顔を真っ直ぐと見ることができるようになった。優しさがあふれていると感じるようになった。誰がこれを作ったのかなとも思えるようになっていった。
夾竹桃の花とこの女神様の佇まいが、なんだか似ているなと思えるようになった。ここまで来るのに、ずいぶん長い年月がかかったように思う。
よく見ると半歩足を前に出している。何か意味があるのだろう。そして、わたしも、半歩足を前に出して、いつの日か本当の平和をこの手で掴み取り、次の時代の人たちへ残してあげるために、進んでいかなければならないのだろうなと思えるようになってきた。ずいぶんと時間がかかったものだ。
今朝8月7日、広島と長崎の原爆の日にはさまれた一日の朝、心の中から沸き上がってきたとりとめのないようなメロディーだが、私の「思い」を少しだけ刻んで、ここに置いておこうと思う。
題名は「平和を築くまで」。
お聞きください。
「平和を築くまで」
ふんわり浮かんだシャボンの玉が
風に揺らいでいる
灼熱の光 凄まじい爆風浴びて消えてった
たくさんの人の魂のように
ふんわり浮かんでる
ふんわり浮かんで風に揺らいで
咲いてる赤い花
今年の夏も黙って咲いてる夾竹桃の花
ふんわり浮かんだシャボンの玉が
風に揺らいでいる
風に吹かれて高く高く
のぼって行けよシャボン玉
この手のひらが涙を拭って
平和を築くまで
この手のひらが涙を拭って
平和を築くまで
2022/8/7 作詞・作曲 historyninjin