Ninjin History Blog

広島県福山市近辺の歴史について書いてます

音楽の贈り物「アルバム2023/3/23オリジナル版」

新しい小学校へ異動することになり、今までの小学校の思い出に記念のアルバムを置いておきます。(*^^*)


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●にんじん MUSIC CD  2023/3/23オリジナル版●

 

01 「わたしと小鳥と鈴と」

詩:金子みすず 作曲:にんじん先生

教え子たちと一緒に歌ったもの


私と小鳥と鈴と - YouTube

なかなか元気が出てくるいい歌でしょ。

https://historyninjin.hatenablog.com/entry/2021/06/13/051717

 

 

02 「蜂と神様」

詩:金子みすず 作曲:にんじん先生

教え子たちと一緒に歌ったもの


蜂と神様 - YouTube

この写真は金子みすずが暮らした山口県仙崎の風景です。くじらも取っていたらしいですね。

 

 

03 「思い出の服部小学校」

作詞・作曲:にんじん先生

小学校全生徒,音楽祭で歌ったもの


思い出の服部小学校 - YouTube

服部小学校111年の歴史、閉校のために作曲したオリジナル曲です。校長先生から作曲の依頼があり、1ヶ月ほどして誕生しました。(*^^*)

https://historyninjin.hatenablog.com/entry/2021/06/02/062254

 

 

04 「駅家小学校の歌」

作詞・作曲:にんじん先生

にんじん先生のギター弾き語り


【ギター弾き語り】駅家小学校の歌(part1) - YouTube

写真は、駅家小学校の窓から蛇円山を見たところです。この歌本当は3番まであるんですよ。エピソードもおもしろいけど、そのことはいつかまた。

( ・∇・)

 

 

05 「あんずの花の歌」

作詞・作曲:にんじん先生

にんじん先生のギター弾き語り


あんずの花の歌(1~3番) - YouTube

毎年2月ごろ、あんず祭りが近づいてくると小学校では今月の歌として、みんなで歌っているようですよ。

https://historyninjin.hatenablog.com/entry/2023/03/19/110404

 

 

06 「彼岸花

作詞・作曲:にんじん先生

教え子たちと一緒に歌ったもの


彼岸花 - YouTube

みんなこの彼岸花お気に入りです。何度も帰りの会で歌いました。

https://historyninjin.hatenablog.com/entry/2022/05/29/005441

 

 

07 「岩畳神社」

作詞・作曲:にんじん先生

教え子たちと一緒に歌ったもの


岩畳神社 - YouTube

この祠、軽く1000年以上前から記録が残っています。

https://historyninjin.hatenablog.com/entry/2021/05/22/034957

 

 

08 「しんじゅの木の歌」

作詞・作曲:にんじん先生

にんじん先生のギター弾き語り


しんじゅの木の歌 - YouTube

冬のしんじゅ(神樹)の木です。

 

5月の運動会に顔を出しました。子ども達から「あっ、にんじん先生!」とたくさん声をかけられました。(*^^*)  その時撮ったしんじゅの木です。


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09 「七つの泉の水呑の地」

作詞・作曲:にんじん先生

にんじん先生のギター弾き語り


七つの泉の水呑の地 - YouTube

写真は古くから伝わる「葛城神社」。葛城という奈良方面の名前がついていて、いろいろ云われがあるようですよ。これから調べてみようと思います。

 

 

10 「片山神社」

作詞・作曲:にんじん先生

にんじん先生のギター弾き語り


片山神社(水呑町,片山最上稲荷神社によせて) - YouTube

水呑の町はこの片山神社と、妙顕寺を中心に精神的に深い絆で結ばれて成立し、ずっと続いてきたように思われます。片山神社は今はすっかり廃れていますけど、妙顕寺はどっしりと町を見下ろして健在です。

 

 

11 「今日というこの日は一度きり」

作詞・作曲:にんじん先生

にんじん先生のギター弾き語り


今日というこの日は一度きり - YouTube

今年の1月、夕方ふと見上げると二日月が出ていて、自然に嬉しくなり、とても印象的でした。子どもたちに対する私の教師としてのあり方を考えながら、家路についたときに浮かんできた歌です。

 

 

12 「虹もいっしょ」

作詞・作曲:にんじん先生

にんじん先生のギター弾き語り


【ギター弾き語り】虹もいっしょ - YouTube

父の遺言「前向きに生きる」の歌バージョン。(*^^*)

https://historyninjin.hatenablog.com/entry/2021/05/21/014623

 

 

きっとまた、どこかでお会いしましょう。

\(^o^)/  2023/3/31記

 

 ◆以下は2023/3/24に記したあいさつ文です。


「異動にあたり,有縁の方々へ」

 

去年の10月末産休に入る先生に代わって,現在の小学校の特別支援学級担任をすることになり赴任してまいりました。この間明るくにぎやかな子どもたちとの楽しい5か月間でした。この度教育委員会のほうから次は市内の小学校勤務との人事を受け,現在の小学校とお別れすることになりました。いろいろ足りないこと等あったかと思いますが,担当した子全員それぞれ掴むべきものを掴み,成長の跡がみられるようになって次の学年に巣立っていけるようになれたかなと思えるようになりました。これも皆様の日々の支えがあってのことと感謝申し上げます。

 

こちら(水呑)に来てまもなくある日,学校の裏手にある松室神社に行ったことがありました。その時は何かよく分からなかったのですが,ふとこの山沿いに形成されて歴史を営んできた水呑の町自体が持つ自然のすばらしさ,そこに生きてこられた先人の方達のこつこつと積み重ねてこられた忍耐強い息吹のようなものに直接触れたように感じました。その時から,私は時間を見ては水呑の町を歩いて巡りながらいろいろと考えるようになりました。

 

こちらの小学校で勤務するようになるまで,水呑についてそんなに興味を覚えたことはありませんでした。ただ漠然と水呑という地域があるという程度でした。でも実際に町を歩き回って感じたのですが,こんなにも魅力のある町は他にめったにないということでした。

 

私は生まれが福島県会津のすぐ近くの郡山で,家内がこちら福山の北部神辺生まれと言うことで福山で暮らすことになりました。若い時にふるさとを離れたためか,ふるさとというものをいつも思い,ふとしたことからも私にとってふるさととは何だろうかとよく考えるようになりました。今までいろいろ学んだりして,ここ備後の福山について知っていることは大体下記のような事です。

 

江戸時代になる前の中世時代,福山は海辺にたたずむ寒村だったようですが,水野勝成が拠点をおいたことにより城下町として急速に発展します。家内の先祖を辿ると,福山建設が始まった時に水野勝成に従って名古屋のほうから移動してきた一族のようです。昔は備後(びんご)の国と呼ばれたように,吉備の国の西の領域ということになり,文化的には元々吉備文化圏(岡山文化圏)の地域だったということができます。徳川時代において福山は特に西国の要衝としての機能を果たしていました。経済的にも軍事的にも西国(毛利~九州の勢力)を監視し,地勢学的な意味で徳川政権を守るという政治的性格を持った都市だったということができるでしょう。

 

けれど明治維新においては、徳川政権との結び付きが強かったことから明治政府によって疎んじられたのだと思います。私のふるさと,会津と同じように長州と戦争になる寸前まで行きました。会津は完膚なきまでに血祭りにあげられましたが、福山は寸前で方向転換し,明治政府に恭順し,函館戦争に藩独自の経費で参戦して敵とされた旧幕府軍と戦います。

 

明治維新の時行われた廃藩置県で,いったん福山県になりますが数か月で深津県に改名,すぐに小田県に吸収されて岡山県編入された後,再び広島県編入されるというたらい回しのような経緯を通過します。広島県編入される時は,市としての人口の条件も満たせないほどの状態だったようですが,先人たちの苦渋の努力でなんとかその問題をくぐり抜け,福山市として成立するという過程を通過したようです。

 

そのように吉備文化圏から引き剥がされ,広島県(毛利文化圏)に編入されるような過程を通過しながら福山は徐々に求心力を失い人口が流出し都市の形態が縮小し,日本の歴史の表舞台から後退していったようです。日本鋼管によって経済的に復興するようになる前、私たちの先人はその軛を背負いながらもけなげに努力してきたということができます。どんな苦しみの中でもあきらめず,こつこつと歩みチャレンジする,そのような精神性が現在の福山の文化をつくっているのではないだろうかと私は考えています。

 

福山から北部の方に足を伸ばすと三次(みよし)というところがあり古墳群が発掘され保存研究されています。この辺りにもかつて大きな一つの文化圏が存在し,東の丹波文化圏や,あるいは西の出雲文化圏となんらかの繋がりがあったのではないかなと私は勝手に思っています。

 

そんな私に郷土史研究の手ほどきをしてくれたのは,松永の南,藤江町に住む10年来の知人で90歳を越える一人のお年寄りの方で,今も時々会ってお話をしています。

 


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今年の正月私は,草戸にある明王院と,沼隈にある悟真寺に行って来ました。明王院五重塔は他に類例がないようですが,なんと一般民衆の寄進によって建てられたそうです。そのような文化財をただ見てまわるだけですが気持ちが落ちつき安らぎます。藤江鞆の浦のほうで成功したらしい山路家という豪農が,江戸時代になる前に移動して拠点を置くようになったようです。先ほどの悟真寺は実は山路家の菩提寺です。その山路家が基盤を据える以前,先を辿ると藤江平安時代,京都の石清水(いわしみず)八幡宮の荘園で畳表の生産や塩の生産,繊維製品の生産などの基盤となっていたそうです。地域にあるいろんな企業や会社の構成などを見ると,なるほど千年の時を越えて,昔の技術的な文化や遺産や精神的な何かが,現在にも受け継がれているんだなとつくづく感じます。

藤江の山路家については下記

https://historyninjin.hatenablog.com/archive/2021/05

 

 

そんなことから,現在の小学校に勤務するようになって,水呑の山道や町を巡り歩きながら,とても興味が湧き上がってくるようになりました。ここは鎌倉室町時代は鉄製品製造の技術を持った人たちの拠点だったようです。後に水呑は明治以降繊維生産の拠点のようになっていきます。地元の古い道筋に周りの景観に溶け込んで,ところどころに小さな電気部品などを作る工場がありますが,技術を受け継ごうとする精神性を脈々と受け継いでいるようです。工場の方とすこし話したことがありますが,話をしながら私の目にはかつて鉄を扱っていたこの地の歴史の流れが見えてくるように感じました。

 


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水呑の町の最も中心に鍛冶屋町があり,地名にその痕跡がはっきり刻まれているわけです。長い歴史の目で水呑の町を見ていくと興味が尽きることがありません。休みの日など,時間を見つけて水呑の町を歩くと,私はいつもウキウキし,歴史を旅するような喜びに駆られます。目に見える姿は現代の町の姿なのですが,見方をちょっと変えると,とてつもない懐かしい昔のふるさとの姿が目の前によみがえります。そんな町,それが水呑だと最近私は思うようになりました。

 

私は臨時採用なので次年度の人事は,ぎりぎりにならないと分からないのですが,昨日(3月23日)教育委員会より、来年度は別の市内の方の小学校という人事を受けました。まだこれからもっともっと水呑の町のすばらしさを見つけたいと思っておりましたので残念ではありますが一旦お別れすることになりました。でもこれで終わったわけではなく,ちょこちょこ水呑に来ることがあるかと思います。どこかでお会いすることがありましたら,その時はお気軽に声をかけてください。

 

地域の交流館に「水呑七泉」の写真があったので,行きたい,行って見てみたいと思い,何日もかかって歩いて探し,七つの泉を全部まわりました。一番心が引かれたのは片山神社(片山最上稲荷神社)でした。今は完全に廃棄されたような状態ですが,お話を聞くと,昔は福山で最も大きい草戸稲荷をしのぐほどの格式だったようです。現在では全く想像もできないことですが,そういう話を聞くとその都度新しい発見があり,心が躍ります。

 

40歳を迎えようとするある日,忽然と心の門が開かれる体験を通して作曲できるようになり,こつこつ教育の場や,人生の場面で,聞く人になにか元気を与えられる音楽を作りたい,ふるさとを思い出すような音楽を作りたいと思って作曲してきました。作品数は数えたことがないのではっきりしませんが数百になると思います。これはと思う物を12曲ほどミックスしてひとつにまとめました。2023/3/23 オリジナル版と呼びたいと思います。十数年前,初めて勤務した小学校時代についたわたしのニックネーム「にんじん先生」による水呑の思い出に編集しました。どうぞお聞きください。

ご家族皆様のご健勝をお祈りしつつ,挨拶とさせていただきます。

 

2023年3月24日 にんじん先生(*^^*)

 

2023/4/2 記 : 最後に音楽の贈り物の中の「音楽の贈り物」=ひまわり (*^^*)

https://historyninjin.hatenablog.com/entry/2023/01/28/213815

 

 


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