111年の歴史に幕をおろす最後の年度に私は服部小学校に勤務することとなった。T君の願いが叶って、T君の担任になった。学級の名前は「ひまわり学級」。
5年生のT君と、新しく入学したピカピカの1年生2人が加わり、3人学級だ。
年度始め、私がちょこちょこ作曲することを知っておられた校長先生が言った。「閉校にあたってみんなの思い出に残るような歌はできないかしら?」と。話を聞いた瞬間目が点になったが、でもやってみようと思い、ことあるごとに歌のきっかけを探し始めた。
5月のある朝、目が覚めてふとメロディーが浮かび、さらりと歌詞をつけた。ギターでコードをつけ、二度三度歌って、あ、出来たと思った。
通勤で車を運転しながら、服部大池を左手に坂道を登りかけたとき録音したその歌を聞いていた。突然なにかわからないが、ポロポロと涙がこぼれた。
一体何だろうと思いながら小学校に着いた。空が青々として澄みわたり、蛇円山がホタルの里服部を見下ろしていた。
ソロで歌った「思い出の服部小学校」
少ししてCDにして「これサンプルなんですけど、どうでしょうか」と校長先生に手渡した。ボツならボツでもいいや、そしたらまた新しく作ろうと思っていた。
何日かして校長先生が校長室に教務主任と子どもたちの生活指導をする先生を呼ばれた。CDの音楽を聞いてもらい「これどうかしらね」と言っておられるのが通りかかった時たまたま聞こえてきた。
ゴーサインがでた。そして、元小学校の音楽の先生をしておられたIさんに伴奏を頼むことになった。子どもさんが服部小学校の卒業生で、現在は小学校の近くでピアノ教室を開いておられる方だ。
一度来られて、体育館のピアノを使ってアレンジの打ち合わせをした。気さくな方で、お互いにアイデアを出しあって打ち合わせが始まった。前もってピアノの伴奏の叩き台をもってこられており、すんなりと進んだ。開口一番Iさんは「私この歌を聞いて泣いちゃった」と言われたのを覚えている。
一ヶ所だけコード進行をどうするかということで問題があった。ピアノでいろいろやっていただいたが、私の思うようなコードがなかなか出てこなかったので、教室に置いてあるギターを持ってきた。
私がこういうコードがここにほしいのですけどとギターで弾いてみると、すぐに「ああそれね、こうかな」と言われ、ピアノを奏でると、私が思ってる通りのコード進行になり、とても嬉しかったことを覚えている。
ピアノだけの「思い出の服部小学校」
やがて全校練習が始まった。生活指導の先生が指揮を担当。子どもたちが歌いやすく、気持ちをこめやすく、間にメッセージがはいるようにしたり、いろいろと工夫してくださった。
私の最初の歌い方は1番はスローバージョンから入って、2番に折り返すところで少しアップテンポにするいわゆるオーソドックスな歌い方でCDに録音したのだが、その先生の工夫でなかなかいい歌い方に仕上がった。
ひまわり学級バージョンの「思い出の服部小学校」
03 ひまわり学級(思い出の服部小学校).mp4 on Vimeo
アイ音楽祭の発表で全校生徒で歌った「思い出の服部小学校」
04 アイ音楽祭(思い出の服部小学校).mp4 on Vimeo
岩畳神社の歌や彼岸花の歌や、ひまわりの歌などが生まれてきて、それらを織り混ぜてCDにしたのをひまわり学級の子どもたちのお母さんたちに一度聞いてもらった。
子どもたちはわいわい、岩畳だとか彼岸花だと言ったらしいのだが、ある日Tくんを車で迎えに来られたT君のお母さんがポツリと「先生、この思い出の服部小学校の歌、とてもいいですね」と言ってくれた。
私は蛇円山に向かって「よかったね」と心の中で独り言を言った。
111年の閉校の記念にみんなの心に一つの思い出のともしびをともしてくれたのではないかと思う。