Ninjin History Blog

広島県福山市近辺の歴史について書いてます

福山

ホタルの里の物語① 「思い出の服部小学校」

111年の歴史に幕をおろす最後の年度に私は服部小学校に勤務することとなった。T君の願いが叶って、T君の担任になった。学級の名前は「ひまわり学級」。 5年生のT君と、新しく入学したピカピカの1年生2人が加わり、3人学級だ。 年度始め、私がちょこちょこ作…

藤江の里物語⑤ 歌で綴る藤江の里

白雪楼の歌が忽然と生まれてきたことについては前回書いた。 https://historyninjin.hatenablog.com/entry/2021/05/27/060815 「藤江の里の歴史的背景を見つめて」の小論を書き上げるまでの間を前後して、藤江の里を眺めながらいろんな歌が生まれてきた。 通…

藤江の里物語④ 「白雪楼」思い出記

1853年春3月、豪農山路機谷(やまじきこく)は鞆の浦にて「未開牡丹」を冠した漢詩の会を主催したことは前のブログで書いた。 その中で「白雪楼」の数奇な運命について記したが、白雪楼が藤江の里にあった期間は、単に詩文(漢詩)を講究する場ではなく、幕末に…

藤江の里物語③ 郷土史の小径(こみち)より

藤江の里の物語を少し発展させます。今回は頼山陽から斬り込んでみます。 ◆郷土史の小径(こみち)より◆ 頼山陽はかなり繊細な神経の持ち主だったようだ。しかし一旦志を立てると真っ直ぐにそれに向かって突き進む気迫を隠そうとはしなかった。 勘当され、備後…

藤江の里物語② 楽曲「一筆」によせて

◆藤江の里物語②◆ ♪「一筆」 vimeo.com 楽曲「一筆」創作の契機となったのは、未開牡丹の詩会が当時の時代背景から考えて単なる優雅な漢詩の集いではないと考えたことによる。江木鰐水(がくすい)の序文(漢文)を眺めたとき、読めない漢字語が多く詳しい意味は…

藤江の里物語① 山路機谷について

2014年頃,備後の国藤江村の江戸時代後期の様子について,地元でこつこつと郷土史の研究をしてこられたM氏の示唆や指導を受けながら,自分で調べたことも加えて一文をしたためた。 卒業する6年生にふるさとのことを忘れないでねというつもりで書いたも…

岩畳神社 岩畳の上の小さな祠

福山市の北のほうに駅家という町がある。その一番奥まったところに雨木(あめぎ)という地域が広がる。かなりの部分が山であり、山から流れ降りてくる水流が集まり服部川を形成し、福山初代藩主水野勝成(1564~1651)公が開墾を命じて作った服部大池へと注いで…