昨日(2023年9月16日)内海の横島で上演された神楽「五郎王子」を見に行ってきました。
夜8時半から始まった五郎王子の舞台は11時半にまで及びました。
最前列に体が吸い寄せられ、最後までカメラを片手に息もつけぬような舞台に釘付けになりました。
主人公の五郎王子の生きざま、古代の日本人の魂が宿っているようで、心の中に涙が湧いて目を離せませんでした。
一晩開けて今朝、ふと心の中から涙とともに込み上げたイメージを歌にしました。
どうぞ。
神楽、五郎王子に寄せて・・・
「五郎王子」
遅れて生まれし醜い故に
背負いて生き行くさだめよ
理不尽なことその身に受け続け
度重なる試練の嵐
いかなることが待ち構えようと
一歩だに引き下がらぬ
志を抱きしめ
生まれてきた故に
生まれてきたからは
天よ我を見つめ給え
我を見つめ給え
遅れて生まれし醜い故に
背負いて生き行くさだめよ
理不尽なことその身に受け続け
度重なる試練の嵐
いかなることが待ち構えようと
一歩だに引き下がらぬ
志を抱きしめ
生まれてきた故に
生まれてきたからは
作詞・作曲 2023/9/17 historyninjin
◆石見神楽(いわみかぐら)「五神」の解説
https://iwamikagura.jp/enmoku/gojin/
◆備後神楽「五行祭」の解説
http://www.pionet.ne.jp/~takehiro/gogyou.html
「五郎王子」が始まる前の別の演目です。
いよいよここから「五郎王子」が始まります。
五郎王子の登場です。
不条理な運命に荒ぶる五郎王子 諄々と諭され、地に伏してその声を聞く場面。
◆作曲余話
備後神楽「五行祭」の解説には下記のように説明されている。
「盤古大王の死後に出生した五郎王子は、父の名が知りたく、母后に尋ねる。しかし、母后は遺産相続の争いを危惧し、兄たちを訪ねるように勧める。
兄たちはいずれも遺産を削り取られるのを恐れて、自分達に弟はいないといい、「四という数字は天地万物の基である(春夏秋冬・東西南北など)」という。 再度兄たちを訪れた五郎王子は、「五こそ万物の基礎の数であり(東西南北および中央、 春夏秋冬およびその境など)、自分こそは五番目の弟に間違えない」と主張するが、また断られる。
五郎王子は兄たちと戦うことを決意し、一人対四人の激しい合戦となる。
その時、 問訊博士が駆けつけ、兄弟相争うことの愚かさを諭し、条件を示して和解を勧める。その条件とは、末弟の五郎王子は土神で、中央と戌巳の郡を領し、兄たちの持つ90日から一人18日ずつ 土用として分けることである。
ここに和解は成立する。」・・・と。
存在を構成する基本数の四を兄たちは主張するが、末弟の異端児のような五郎王子は五行説をもって相続権を主張する論理のぶつかり合いをモチーフとしてこの神楽は構成されているが、私はそれらを越えた「人間とは何ぞや」という根源的なテーマをその兄弟たちのやり取りに見いだすほうを選びました。
五郎王子と兄たちの嗣業を巡る争いというより、人間として生まれてきたことをどう捉えるのかということを赤裸々に問いかけていると見たほうが神楽をより本質的に楽しむことができるように思います。
四と五の数を巡る合理性の対立の問答の掛け合いよりも、人間の実存に迫るテーマをこの神楽は見る人にぶつけていると捉え、その観点から詩を編み、作曲をしました。
このような神楽への音楽的アプローチもどうかなという私なりのささやかな提案のようなものです。(*^^*)
この解釈はちょうど隣に座りあわせた横島の方との会話の中から見つけて拾い集めたものです。後でその方の親戚の方に会い、清十店の仲間だよと教えていただき、大変恐縮しました。
生活の中で生きる「五郎王子」を教えていただき、ありがとうございました。(*^^*)