Ninjin History Blog

広島県福山市近辺の歴史について書いてます

葛原しげるの詩の原風景 「天狗松」を尋ねて



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2017年1月


天狗松(ソロ) on Vimeo

 

2023年10月ライブ


天狗松 (20231028ライブ) on Vimeo

 

2023年11月ライブ


秋の歌7「天狗松」 on Vimeo

 


葛原しげるの詩の原風景

「天狗松」を尋ねて

 

historyninjin の音楽紀行(*^^*)

 

葛原しげるの「天狗松」の詩に出会ったのは,「まんが神辺の歴史」を通してであった。今から30年ほど前に出版されたものだが,当時勤務していた神辺小学校の図書室にたくさん並んでいたので,1冊を教室に借りてきてちょくちょく目を通していた。

詩はこんな奇抜で洗練されたイラストと共に紹介されていた。


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この詩に曲はつかないだろうかと,郷土史のことで知り合いになりいろいろ教えていただいた「まんが神辺の歴史」の著者のN氏とよもやま話をしているときに,そんな話が出た。「ああ,いいですよ,やってみましょう」と答え,自宅でいろいろ思いを巡らし,愛用のギターを引き寄せて思案した。ほどなく一曲の童謡というよりも歌曲に近いような,村の子どもらが自慢の一本松を誇る気持ちが感じられるメロディーが湧き上がってきた。2015年の春先のことだった。

 

Nさんに電話を入れてアポイントをとり,聞いていただいた。実は,曲はもう1曲試しに作曲していたのだが,両方聞いていただいて最初に作ったほうが断然いいと言われた。そのようにして「天狗松」が誕生した。

 


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天狗松の楽譜は上のとおりである。ギターで作曲したため,コードはギターコードを念頭にしている。CapoⅢとあるのはカポタストという移調するための器具を3番目のフレットのところに装着することを意味する。すると,楽譜はハ長調だが半音で3つ上がった変ホ長調で演奏される。CapoⅡならばニ長調になるわけだ。

神辺の道上にお住まいのA氏が主宰する「童謡を歌おう会」で竹尋小学校時代の教え子と3人でこの天狗松を歌ったことがあるが,そのときはリコーダーで演奏しやすいようにCapoⅤ(ヘ長調)に移調して二重奏にアレンジし,リコーダーで演奏して一緒に歌った。

 

2015年5月4日に,葛原邸(葛原匂当旧宅)改装記念イベントの一つとして,保存会のKさんを通して葛原しげるの詩や音楽に因んだ弾き語りの場を持ちたいのですがと申し込んだ。午前中の約1時間半,私が葛原しげるの詩に作曲した曲を適当に織り交ぜて聞いてもらいながら,いろんなよもやま話や会話を楽しむ,気軽な一席を予定したいのですがとしたのだが,快く開催の許可をいただいた。

 

よく晴れたさわやかな日だった。当時私は福山市の松永から少し南に行ったところにある藤江小学校に勤務していた。地元にお住まいの教え子のご家族に声をかけたところ,3人の子どもさんと御夫婦で参加してくださった。「まんが神辺の歴史」を書かれたNさんにも声をかけた。しゃれた鳥打帽のような帽子をかぶって,葛原邸まで来てくださった。それから,当時神辺小学校の校長先生をしておられたO先生もきてくださった。その他,地域の方や遠方から来られた方など20~30人が葛原邸の座敷に集まって座り,温かで柔らかな日差しの中、和やかにコンサートが始まった。

 

童謡(童謡詩あるいは童児のための詩を葛原しげるは童謡と呼んで意識しており,メロディーが伴っていても,伴っていなくてもよいと考えておられたという)に寄せる葛原しげるの思いを綴った,しげるの詩集から引用した文章を紹介したり,大正から昭和初期に全国的に起こった童謡を作りだそうとする運動について触れたり,今日それがどんなふうに評価されており,今後どのようになっていくだろうかなどについて語ったり,私がどうして40歳を前後して作曲できるようになったのかという面白いエピソードを織り交ぜたりしながら,弾き語りのコンサートは続いた。

その時披露した葛原しげるの詩に私が作曲した曲は「天狗松」「おんどりめんどり」「だるまさん」「ほたる」などだった。

まんが神辺の歴史の著者,Nさんには天狗松の詩にまつわる解説をしていただいた。また,コンサートから思いついたイメージを短い文にしていただき,その場で私がそれに作曲するコーナーも持った。

 


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さらに会場に来てくださったみなさんと葛原しげる作詩の「夕日」を歌ったりした。コンサートの終わりにアンコールがかかったので,私は思わず「ではみなさん,葛原先生の夕日を歌いましょう」と言ったところ,すかさずNさんが「天狗松がいいです」と言われたので,天狗松を最後に歌い,また,盲目の琴の名手,葛原勾当が実際に折った江戸時代の折り紙が現存していて,非常に貴重な日本最古の史料であること,中には言い伝えられながら折り方がわからなくなっていた折り紙も混じっていることなどを付け加え,コンサートを終えた。

 

京都からわざわざ毎月二弦琴の指導のために,T先生という八雲琴の女の先生がきておられた。コンサートが始まる前に私のところに来られ,調弦はどのようにするのですかと聞いてこられた。私はとっさのことで,二弦琴の調弦がどうなっているか確かめもせず,思わずギターの第5弦の音と勘違いして,「Aの音,440サイクルです」と言ってしまったことを覚えている。それでよかったのかどうかT先生 (残念ながら数年前に他界されました) は「ああ,そうですか」と答えてまた向こうへ行ってしまわれた。その後,T先生は私の作曲した天狗松を二弦琴の音階を使ってアレンジしてくださり,二弦琴版天狗松が出来上がることとなる。続いて「鬼の物尺(ものさし)」の編曲も手掛けてくださった。

 


天狗松(二弦琴とギター) on Vimeo

✳️T先生が二弦琴用に編曲された「天狗松」  私はその音(ね)に合わせてギターコードをつけました  二弦琴のお稽古の発表会で一緒に歌った時の録音です。(*^^*)

 

 

 

楽しいコンサートであったが,コンサートを開いてみて,私の心にふと一つの消えない疑問が湧き上がってきた。それは,天狗松は一体どこにあったのだろうかという素朴な疑問だった。なんとかして答えが知りたかった。

素朴な疑問ではあったがその後さまざまな曲折をこえてゆくようになる。

 

よく福山の中央図書館に行って (貸し出し禁止になっている) 葛原しげるの詩集に目を通して,いろいろ思索を巡らせたり,書き写して持ち帰り作曲するうちに,やがてそれらの詩のどれもが,葛原しげるの実際の体験から紡ぎだされてきたものであるということを私は強く感じるようになった。単に思索を巡らせた詩とは一線を隔する詩なのだ。

 

天狗松に寄せたしげるの短いコメントには,これは上京してから20年来離れているふるさと神辺の八尋(やひろ)でのこととある。それまではあまり注目することなく読み過ごしていたのだが,作曲し,歌ってみて,歌の由来を自分で説明したりするうちに,天狗松は単なる思索によって生み出された架空のものではなく,葛原しげるが幼年期から青年に至るまでをすごした八尋のどこかに実際にあったものに違いないという思いが強くなっていった。そしてそれは次第に確信に近くなっていった。

 


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葛原しげるの生家

 

 

一旦,天狗松は神辺の八尋のどこかにある,あるいはどこかにあったに違いないという直感的な確信を持つようになると,今度はそれを確かめなければ気が済まない,私の性格が騒ぎ始めた。

 

福山の藤江郷土史を30数年間研究してこられた地元の古老のMさんに会って話を伺ったときも,同じような説明のつかない衝動が湧き上がってきたことがある。幕末に向かう江戸時代後期の福山(福山藩)の様子が,現在私たちが捉えている漫然とした感覚のものではなく,非常に躍動的で,文化的色彩あるいは政治的色彩などに満ちた世界だったというイメージがはっきりしてくると,私は何日も何日も興味に尽きない感興を覚えて,片っ端からいろんな資料にあたって調べたことがある。ジャンルは違うが,私はそれと似たような感覚を葛原しげるの詩に覚えた。

 

✳️藤江の歴史的背景については下記(*^^*)

https://historyninjin.hatenablog.com/archive/2021/05

 

全部で①~⑤まであります。\(^-^)/

 

 

福山藩,そのなかでも特に西の松永のほうに峠を越えた所に位置している藤江の幕末の歴史(豪農山路家を中心にみた歴史の一端)を紐解く作業は郷土史の研究だったのだが,葛原しげるの詩に作曲をしながら,私は次第に八尋という葛原しげるのふるさとを,しげるの詩を通して郷土史的に見つめる見方をするようになっていった。

それほど葛原しげるの詩は,事実や体験に基づいて綴られていて,文学的な価値と同時に,郷土史的な価値も併せ持っていると言えるのだ。

 

作曲していて,昔の八尋の風景や自然の様,村の様子(村人の生活や子どもたちの様子),葛原家での家族の様子や出来事などがしげるの詩情あふれる感性で捉えられ,綴られていて,それがあちらこちらにちりばめられているのだ。断片的なものではあるが,そのひとつひとつが明治から大正,大正から昭和にかけるその時代の息吹のようなものを私たちに運んでくれるのだ。郷土史の資料として捉えるならば,こんなにいきいきして,愛らしく,文学的ですらある郷土史的資料を私は知らない。

 

葛原しげるの詩に作曲をはじめて2年ほどの間に約60曲あまり作曲したが,詩を選び,その詩にふさわしいメロディーを探し作曲するその時々に,私が受けた感覚が上記のような感覚だった。

 

 

✳️葛原しげるの童謡論に関する音楽的考察のようなものを下記に載せてあります。後半で「二日月」と「お月さん寒いでせう」を例に少し書き留めました。

https://historyninjin.hatenablog.com/entry/2022/05/29/005441

 

 

「天狗松」という詩は葛原しげるが上京して20年ほどしたある朝,故郷八尋のことを思い出してふと作ったものだという。詩に出てくる「鎮守の山」は一体どこなのだろう。それが分かれば「天狗松」もわかるに違いない,私はそう考えた。

 

何人かの地元の方に天狗松に関する記録あるいは記憶がどこかにないだろうかと思い質問してみた。けれどもその答えは一様に「さあ,聞いたことがありませんが・・・」という反応だった。パソコンで八尋の地図や航空写真を検索して眺めたりするうち,実際に,葛原邸の周辺を歩いてみようと思った。この手の問題は実際に歩いて探って見なければ分からないからだ。

 


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二宮神社への参道

 

 

最初私はてっきり「鎮守の山」は葛原邸の裏山にある二宮(にのみや)神社の背後の山がそれだと思った。そこでまず二宮神社に行って,そこから山のてっぺんにいけばきっと天狗松があると思い,ある日それを確かめようと山道を登り始めた。

以前にも何度か行ったことがあったが,そのときはただ漠然とどんな神社なのかなという感じだった。が,今回はちょっと目的が違っていた。

 

てくてくと山門を越えてすこし登り,二宮神社に向かって石段を歩きつつ,左手にある真言宗の蓮乗院というお寺のほうを何気なく見た。すると,お寺の庭で植木職人の方が作業しておられる姿がふと目に入った。

 


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葛原邸の門前にある芭蕉の樹 (バナナそっくりの実が実ります  もしかしたらバナナかもしれません) (*^^*)

 

 

私は二宮神社の社殿を斜め上方に臨みながら,その背後のうっそうとした山を見上げた。

物言わぬうっそうとした緑の山が重くのしかかってくるような感覚を覚えた。

 

このまま二宮神社に行ってもおそらく誰もいないだろうなと,ふと立ち止まって私は考えるともなく考えた。 そうだあの植木職人の方に聞いてみよう。そう思いついた。

そして踵(きびす)をかえして,来るときに作業しておられた植木職人の方が見えた蓮乗院の境内に向かって歩き出した。

 

つかつかと,ちょうど仕事を終えようとしておられた植木職人の方のところに近づくと挨拶もそこそこに・・・

「あのー,このあたりに天狗松と呼ばれる一本松があったという話は知りませんか?」「葛原家の鎮守の山といえば,この二宮の後ろの山でいいですよね。」「この山の頂上にはどうやって行けばいいのですか」「見たところ山道らしき道はすっかり藪で覆われているようになっていてどこから登って行ったらいいかなと思ったものですから・・・」と,聞きたいことをずらずらと並べたてた。

 

その植木職人の方は矢継ぎ早の質問を受け,私のほうをじっと見て「うーん」と少し困ったような顔をしながら,知っておられることを話してくれた。

 

このあたりの松は30年ほど前に,松枯れにやられてしまい,松という松がほとんど枯れてしまったこと,天狗松という名前は聞いたことがないこと,しかし,自分が幼かった時,蓮乗院の裏手に,とても枝ぶりのいい横に這ったような形の松の木があって,その松の木株がもしかして残っているかもしれないこと,葛原家の鎮守の山といえば,この二宮神社の裏の山ということになるだろうが,昔は山頂に登る山道が境内の左手にあったけれども,今では完全に塞がれてしまって緑の季節に登るのは不可能だろうとのことなど知っておられることを語ってくださった。

 

それから,わざわざ蓮乗院の裏手に案内してくれて,昔の記憶をたどって,やっと松の枯れた木株を探して教えてくれた。さらに,松枯れの後に植えた松がどのへんにあるか,蓮乗院の表のほうに案内していろいろ説明してくれた。かつて松が生い茂っていたころの八尋の山の風景を知っているが,30年前の松枯れによって植物の生態が著しく変わってしまって,現在の風景からは想像するのも難しいこと,などをぽつぽつと語りながら教えてくれた。

 

その時点で私は,「鎮守の山」は葛原邸の裏の山であり,その頂上にかつて「天狗松」があったのだが,松枯れで枯れてしまったのだと理解した。

そして,冬になったら山道を辿って山頂に行こうと思った。そうすればきっと天狗松に会えると思うようになった。

 

 

ところがしばらくして,天狗松を説明する文章に「鎮守のお山というのは八尋村と竹田村の境にある八尋富士,通称くずわら山であり,その天辺(てっぺん)にある松は天狗松(くゐーんまつ)と呼ばれ・・・」という一文があることを思い出した (というより気づいたのですけど・・・😚汗 ) 。再びインターネットで八尋と竹田の境にある山を調べてみた。どう考えても,鎮守のお山は二宮神社の背後の山ではなく,逆に葛原邸の南側,田んぼをずっとこえた向かい側であることに気づいた。

 

✳️「くいーんまつのくいーん (くゐーん) 」天狗を指した言葉だということはわかるのですが、その語源をいろいろと調べました。また,地元の方にもかなり訪ねましたが,どうもよく分かりません。どなたか何かご存じのこと,心当たりのあることなどありませんか?

もしかしたら葛原しげるの造語なのかな・・・? 🤔

 


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左側の山が向山 (葛原山)   後にいろいろ調べてこの山が「八尋富士」=鎮守のお山だとわかりました(*^^*)

右手にぽこんとした感じのこんもりした森がありますが,こちらは葛原しげるの詩「五日月」(詩の中に「鎮守の森にも空っ風」という表現が登場します) の舞台にぴったりです  両者を優しく合わせて葛原しげるは「鎮守のお山」というイメージを持っていたのかも知れません  この森,もしかしたら古代の古墳だったのかも・・・ 😃  五日月で思い出しましたが、詩の中に「ご神木」が出てきます。銀杏(いちょう)の木です。いちょうの木といえば、葛原邸のすぐ東裏手の敷地には大きないちょうの古木があり,毎年ぎんなんを沢山実らせます。葛原祭りのとき私はよくそのぎんなんの実を買って帰ったことがあります。(*^^*)

葛原しげるにとってもしかしたら八尋全体が鎮守のお山,鎮守の森のような存在だったのかもしれませんね。😃💕

 

 

同じくインターネットで「鎮守の山」と検索をかけてみた。すると「鎮守の森(または鎮守の杜)」はたくさんヒットするが,「鎮守の山」はきわめて少ないことが分った。とても意外に感じ,同時に鎮守の山という概念は例外的なものなのかという印象を抱くようになった。葛原邸から目を南に転ずると,南西のほうの田んぼの中にこんもりとした森が見える。既成概念を取り払うならば,これがもしかしたら鎮守の山なのかも知れない。そう思うと,足はその森に向かっていた。

 

平らな森かと思ったら,こんもりと盛り上がった小さな山に木が生い茂っていた。かろうじてつけられた細い道を登って小高い頂きに着くと小さな祠 (祠というよりも小さな神社のようなので,社と言った方がよさそうですね) が祭られていた。中を覗くと「宇賀神」を祭った社だった。

森を吹いてくる風が何かを語りかけてくれはしないかしばらく佇んで周りを見回した。二宮神社もそうだが,以後ここにも何度か足を運んで,昔の様子を想像したり思いを馳せたりした。

 


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宇賀神を祀った小さな社  こんもりした鎮守の山の頂きに安置されています  八尋七社 (二宮神社の七つある分祀) のひとつで地元の人によると毎年順番にお守りをしておられるとのこと

 

 

ある日,その鎮守の森の東側に連なる山に沿って,車でぐるりと回ってみた。ふと車を降りて,道端にいた一人の青年に「八尋と竹田の村境に,昔,八尋富士と呼ばれる山があったそうですが,何か知りませんか?」と尋ねてみた。すると「ぼくでは分らないので,母を呼んできます。」といって,お母さんを連れてきてくれた。

 

年齢は60歳ぐらいだろうか,同じ質問をすると「葛原保存会のKさんに聞いたら分るかもしれませんが・・・」と言われながら,ふと思いついたように「私の住んでいるこちら側(西側)の山は不格好でそうではありませんが,よく葛原祭りで葛原邸に行ってこちらの山をみると,この山の東側の山を見たとき,ああ山らしい山だなあと,よく感ずるんですよ。」とおっしゃられた。

私はお礼を言うとすぐに葛原邸まで帰り,言われたことを思いながら田んぼの中にある鎮守の森の東側に連なる山を見てみた。なるほど「八尋富士」と言われれば,そうかもしれない。やっと霧が晴れてきたような気がした。(*^^*)

 

ある時,それらのことを「神辺の歴史」の著者Nさんに話した。すると「もしかしたら,葛原しげるは,その鎮守の森と,その東側の八尋富士をミックスして鎮守のお山と呼んだのかも知れないね。」と言われた。

私も,二宮神社の裏の山と捉えるより,こちらのほうが説得力があるし、葛原しげるの書いた説明とも符合する。

 

「五日月」2023年10月ライブ


「五日月」 on Vimeo

 

 

そうこうするうち,天狗松について調べたことや思うことなどを東京にお住まいの葛原眞さん(葛原しげるのお孫さん  残念ですがこの方もほんの数年前に他界されました  ある時法事で生まれ故郷の福島へ行った帰り,当時息子が住んでいた東京に寄り,小金井に住んでおられた葛原眞さんに連絡をとり,2時間ほどいろいろと葛原しげるについて直接お話を伺ったことがあり親しくさせていただいていました)にメールでお知らせした。するとこんな返事が返ってきた。

 

「葛原邸の南に面した山(葛原家の墓地などのある山)を向山(むかいやま)といい,その頂上に一本松があったと記憶していますよ。それが天狗松の詩のベースではないでしょうか。」

とのこと。

もっと早く聞けば良かったなと,ふと灯台もと暗しという言葉を思い出した。(^-^)

 

 

そのような経緯をたどって,やっと詩に出てくる「鎮守の山」,「天狗松」のあったところが見えてきた。田んぼの中の鎮守の森の東側に連なる山は,よく見るとすこしうねるようにして頂きが三つある。一番西側の低い部分から背後は,近くにお住いのご婦人の言葉のように,鎮守の山(八尋富士)の候補からは外れる。その次の姿のよい小高い頂の山が八尋富士(鎮守のお山)なのだろう。そのふもとにはちょうど葛原家の墓地がある。

 

向山を別名葛原山とも呼ぶと別の機会に葛原眞さんと話した時におっしゃっておられたが,そのことからしても、この山が天狗松の出てくる鎮守の山であり,その頂に実際に天狗松が生えていた場所なのだということがはっきりとしてきた。(*^^*)


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葛原家の墓地  何度か葛原しげるのお孫さん葛原眞さんの案内などで (毎年神辺町で開催されるニコピン音楽祭に福山に来られるので,時々会ってはいろいろとお話をしました) 伺ったことがあります

 

 

地図で確認した時,一番東側の頂に古い祠が記録されているのを見つけた。葛原眞さんからメールをもらうまで私はそこが鎮守の山ではないかと思っていたが,その祠の西側のもっと小高くなったところが鎮守のお山の舞台,八尋富士ということになる。

 

 

ある日,八尋と竹田の間に連なる山を西から東に向かって下から眺めながら歩いたことがあった。先祖のお墓のそうじをしておられた二人の親子連れ(お義母さんとそのお嫁さんと思われる)のお二人のご婦人に声をかけ,天狗松のことを聞いた。

「さあ,私たちは何もわかりませんが,ずっと向こうの田んぼで作業してるあの人なら,いろいろ知っていると思いますよ。聞いてみてください。」と言われた。

 

そこで,ぐるりと畦道を越えて,田んぼで仕事中の年配の男性のところに行き,声をかけた。なんと葛原保存会の会員ですとおっしゃられた☺️,質問すると,

天狗松は聞いたことがないけれどもその祠のことなら知っているよとのこと,2年前に枝を掃うためにその祠まで行ったことがあり,祀られているのは「愛宕神社」で,二宮神社の七つある分祀の一つであること,あんたが言う鎮守の森にある宇賀神を祭っている祠も七つの分祀の一つだよ・・・と話してくれた。

愛宕神社までは行ったことがあるけれども,その西側の葛原家のお墓の上の頂きにまでは,行ったことがないこと,そこへ下から登るのは無理だが,愛宕社まで行って尾根伝いに行けばなんとか行けると思うということなど,いろいろ話を伺うことができた。

 

 

愛宕神社のわきの山道を入っていくと,竹田の方に出られて,昔は子どもたちの通学路だったことを知った。こちら側 (八尋側) は塞がっていて入るのは難しいけれど,反対側の竹田側から入ったら,道の途中までは辿れるかも知れないとのことだった。私はさっそく竹田側の昔通学路だったと思われる山道の入り口を探した。

 

ぐるりと回り込んで畑で農作業をしていたご婦人に,昔八尋から竹田に抜ける山道があったと聞いたのですがこの道をたどっていけばいいんですか,と聞くと「ええ,そうですよ,この先をずっと行って,右に折れて山のほうに行くんです。」と教えてくれた。どこまで行けるかわからないが行ってみようと,一人でこんもりとした山道を歩きだした。行けば行くほど次第に木や草が生い茂ってとうとう越えることができなくなり,引き返してきたが,昔はこの道が山仕事をする人が通い,子どもたちが通学に使った道であることはわかった。


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八尋と竹田をつなぐ昔の山道,分けいっていくとこんもりと木が生い茂り夏でも何かひんやりとした感じがします。2~3回行って歩いて見ましたが,今では殆ど使われていません。昔のことを知る人でないと誰も知らないような道です。(*^^*)

 

 

葛原眞さんのメールには,私では詳しいことは分らないけれども,葛原家がよくお世話になった蓮乗院 (葛原家の菩提寺になります。その蓮乗院の裏手横にある二宮神社は昔は神宮寺で,蓮乗院と一緒だったのですが明治の神仏分離令で別れたとのこと。二宮神社にある説明によると戦国中世時代は数十名の修行される神職の道師がおられたようです。) の現在の住職の前の住職をしておられた筒井先生という方が,蓮乗院のすぐ下の所に住んでおられるので,聞いてみたらいいですよとあり,ご住職だった筒井先生を紹介してくださった。(筒井先生も葛原眞さんが亡くなられる数年前に他界されました)

 

 

アポイントをとってお会いしてお話を聞くと,「さあ,わたしはずいぶん長く八尋に住んでいますが,天狗松の話は聞いたことがありませんね・・・」といいながら,ふと思い出したように,「ああ,昔,葛原しげるさんが八尋にいたころ,石鎚信仰の大柄な吾助さんを思わせるような人が,今から辿れば四代ほど前か,葛原邸から東側の峠になったところ,地名でいうと大坂峠(おおさかだわ)と言うところに住んでおられましたよ・・・」と語ってくださった。

 


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お元気だった頃の筒井先生 😃

 

 

「・・・お神酒をささげにというならば,大坂峠から奥にはいったあたりに石の碑が3つ4つあったかと思うのですが,そのうちの一つに,石鎚の神様へということで,あるいはささげたかも知れませんな・・・,葛原しげるさんとの年齢差はちょうどお兄さんぐらいになるかな・・・しばらく子孫の方が大坂峠に住んでおられたけれども,今ではどこかへ引っ越してしまわれたようです・・・」と昔の記憶をたどりながら語ってくださった。

 

筒井先生はまた,「鎮守の山というならば,葛原家にとっての鎮守の山は,向山のほうではなく,葛原邸の裏の二宮神社の横に安置されている 「地主神社」の裏手のことを言うのではないかな・・・」ともおっしゃっておられた。郷土の歴史に関心を持つ者にとっては,大変貴重な情報をいただいた気がする。

 

 


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八尋の道沿いには沢山のお地蔵さまなどが祀られています

 

 

この間,試行錯誤すること数か月,調べてみてやっと納得のいく答えがみつかった気がする。実際に峠の吾助さんがこの山にお神酒をかついで登っただろうかと考えると,山の勾配がかなり急なことや,八尋の村(集落)からの距離的なものを考えると,現代の感覚からは少し無理があるような気もする。

しかし,詩に歌われた天狗松が実際に八尋の山にあったと考えると,郷土を思う葛原しげるの思いがストレートに響いてくる。

 

 

「村中の子どもが自慢の松よ,村中の子どもが自慢の松よ・・・」と口ずさんでみると,童心のしげるの目に映ったふるさと八尋の風景がすなおに心を駆け巡る。

 

しかして,天狗松という言葉は,(広島県福山市神辺町の)八尋という葛原しげるのふるさとに限定された言葉にとどまることなく,日本人すべてのふるさとを懐かしむ言葉へと昇華されていくような気もする。

この歌がいつの日か,みんなを励ます心の歌として響くようになってほしいなと思います。

 

天狗松の歌が,すべての人が抱いている 故郷 (ふるさと) を懐かしく思う心を呼び起こしてくれる歌になるとするならば,作曲者として無上の喜びです。

(*^^*)

 

 

上記,2017年8月にしたためた文章に少し手を加えました。

それでは,historyninjin の音楽紀行,葛原しげるの詩の原風景 『「天狗松」を尋ねて』 をこの辺で閉じようと思います。

みなさん、またお会いしましょう。 (*^^*)

 

                               2023年10月14日記  😃💕

 

 

沖縄の三線(さんしん)も入ってデュエットで歌った「天狗松」


天狗松(デュエット) on Vimeo

デュエットの名前は「エストレーラ・デ・カンナベ」(神辺の星)です。(*^^*) 神辺小学校の夏の盆踊り大会に招かれて七回ほど (7年ほど通ったことになりますΣ(・ω・ノ)ノ )歌いました 😃

「日だまりのある町」も歌ってますよ。

https://historyninjin.hatenablog.com/entry/2022/04/04/030204

盆踊り大会ではこの「日だまりのある町」と「天狗松」を歌っていました。(*^^*)

 

 

 

葛原しげるの地元の「夕日の里合唱団」が歌う合唱曲に編曲された「天狗松」です。作曲者である私もテナーで歌ってます。(*^^*)


天狗松(合唱) on Vimeo

 

天狗松を二弦琴用にアレンジしてくださったT先生,天国でも安らかでありますように,またいつか会いたいな。


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(*^^*)

 

 

「お月さん寒いでせう」


お月さん寒いでせう on Vimeo

 

「二日月」


二日月 on Vimeo