服部小学校でのTくんとの新しい生活が始まった。二人だけの、るんるん気分の毎日が展開すると私は期待し、そう思っていた。
けれども、そこに目に見えない、なにかしらすれ違うような期待にそぐわない要素が見え隠れするようになった。
第一はひらがなや簡単な計算がまだおぼつかないような、独自の性格と課題を持った一年生2人が加わったことだった。そこに集中しなければならないエネルギーは半端なく、Tくんとの関係を遠ざけた。
第二は、教育目標との葛藤だった。頭ではこうあるべき、こうあってほしいという構想を描き、取り組むのだが、Tくんの能天気で嬉しそうな姿の中にそれを持ち込もうとすると、どこから手をつけていいかわからないギャップの前に立って、私という存在が一体何者なのかという疑問が生じてくるのだ。
1ヶ月2ヶ月と時間が経っていった。3ヶ月4ヶ月と過ぎていった。休まず出勤する、仕事のルーティンをこなす、いろいろな雑事に追われる、勘違いをして時間をロスする、学級規律を整えようとする、掃除の仕方をこうしようああしようと指導する、ケンカの仲裁をする、教材研究しようと手をつけ自分の経験不足に気づく、いろいろトライしてみるがそれがどういう結果を結ぶのか疑問に思う、夕方の校庭を見つめ今日も一日日が暮れたと気づく・・・。ふと、私は何をしているのかと心の声が聞こえてくる。
1年生の対応に神経を研ぎ澄ますとTくんが視界から遠ざかり、毎日がただの時間の羅列になってしまう。Tくんに焦点をあてると、教育目標とのギャップに私が私自身を責める。
やがて、知らず知らずの内にTくんに辛くあたることが多くなった。「これぐらいできるだろう、5年生なんだから」「これぐらいやってくれてもいいじゃない?」「この問題がわからないの?」「さっき言ったこと、なんでまだ手もつけないで、ちゃらんぽらん楽しそうに昨日のことしゃべっているの」「さっき注意したばかりのこと、なんでまた勝手に変えちゃうの?こうしなさいと言ったでしょ」・・・。
だんだん私はTくんそのものを見つめることをやめて(できなくなって)、表面にあらわれたTくん(だけ)を追いかけていた。まるで、もぐらたたきをしているかのように。
ある時Tくんが私の顔を覗き込んで言った「先生、前の時の先生となんか変わったんじゃない?前はそうじゃなかったよ」・・・
私は怒ったように(ほんとはギクッとして、怒ったような素振りをしながら、これはTくんとのいい対話の場だと直感した)「え?なんだって?、先生は先生!、君はちゃんと言ったことやらんし、忘れ物はしてくるし、勉強中にいっつも別のこと話してくるし、一体先生にどうしろって言うのさ?え?Tくん。先生はTくんのこと好きだよ、でも、これは一体何なのさ!、もう少し頑張れよ!、え?、わかる?先生の気持ち!?」とぺらぺら・・・
ポカンとした表情でTくんは聞いていた。一瞬だけTくんの瞳がキラリと光ったように見えた。
私は口でベラベラと言いたいことを言うが、もう一人の私は、じっとTくんの反応をある意味冷静に観察している。
言葉は一種の道具であり、本音とは違う。こう言ったときTくんはどんなことを考えどんな表情をするか、あんなことを言ったときはどうか、アトランダムな問いかけを矢継ぎ早に相手にぶつけて、その反応から次の手だてを考えるという、私独自の直感的な戦法なのだ。言葉の爆弾攻撃と呼んでいる。けっこう楽しい。(^_^)
今回の言葉の爆弾攻撃の中で、Tくんの目は一回だけ「キラリン」と光ったが、わたしはそれを見逃さなかった。
どの瞬間に「キラリン」と光ったかというと、「先生はTくんのこと好きだよ」と言った瞬間だった。
その戦果?をふまえて、私は私自身を振り返った。
気負いすぎてはいないか? 1年生にエネルギーを削がれるということを言い訳にしていないか? 教育目標が一体なんぼのものなのか? そんなものに追われて教育の本質をお前は忘れているのではないか?
服部小学校はこの一年で終わり、来年は統合されこの校舎は使われなくなる、その最後の年に私はTくんとどんな学校生活を切り開いたと言えるのか?
何かあるのか? 何かこれは良かったなと言えるもの、誇れるものが何かあるのか? え、どうなの?・・・
夏休み、職員室で一日の仕事を終えて教室に寄った。子どもたちの1学期の作品や掲示物を眺めて、さあそろそろ帰ろうかと開いていた窓から外を見た。
ひまわりの花たちが風に揺れているのが目に入った。
ふいに私の中に、Tくんに悪いことをしたなという思いが沸き上がってきた。
涙がにじんだ。
・・・少し体の弱いTくんを抱きかかえるようにして何度も病院に通い、原因がよく分からないために何度も相談したり、小学校を選ぶにしてもいくつかの小学校の特別支援学級をみて回り、静かで少人数でここだったらTくんにふさわしいだろうということで服部小学校を選ばれたりした、Tくんのお母さんの切実な母親として一生懸命に歩んでこられた姿とその気持ちが見えてきた。
私も生まれて少しして大やけどを負い死線をさ迷ったことがあり、母は一晩中、自分の命を召してこの子を救ってくださいと神様に向かって助命嘆願をしたという話をある時、母の口から聞いことがある。
泣くに泣けない世界というものが、人には一つや二つはあるものだ。
私の目から、ポロポロ涙がこぼれ落ち始めた。
ひまわりの花たちが、風に揺らいだ。
ひまわりが何か語りかけてくるような気がした。
・・・すると心の中から言葉とメロディーがこんこんと泉のように溢れてきた。わたしは、こんな時に作曲じゃないだろうにと思いながらもとっさにノートを出し、五線をひいてメモし始めた。
照りつける日差しに顔上げて
まっすぐに咲き誇るのは
校庭の隅に咲く鮮やかな
ひまわりの花たち
暑い夏の日差し浴びて身をよじるように
このひと夏の命を微笑んで抱き締めて咲いている
照りつける日差しに顔上げて
まっすぐに咲き誇るのは
校庭の隅に咲く鮮やかな
ひまわりの花たち
暑い夏の日差し浴びて身をよじるように
このひと夏の命を精いっぱい抱き締めて咲いている
照りつける日差しに顔上げて
まっすぐに咲き誇るのは
校庭の隅に咲く鮮やかな
ひまわりの花たち
暑い夏の日差し浴びて身をよじるように
このひと夏が別れの峠道何も言わず咲いている
身を捩(よじ)るようにという言葉が浮かんだとき、時々Tくんがそんな仕草をするのを思い出した。なにか体に病的なものを抱えているのか、身をよじるような独特の仕草をすることがあるのだ。特別支援にいる子に時々見られる特性といえる。
はっと改めて思いだし、思い浮かべると、また涙が込み上げ、溢れてきた。どうしようもない。
その歌を録音してCDに焼いてTくんに上げた。
2学期が始まってある日、お母さんが私に言った。
毎日送り迎えの時、Tくんはかじりつくようにして車の中でこの歌を聞いているんですよ、と話してくれた。
Tくん、この歌どう?と聞くと「先生、この歌ぼくの歌にしていい?」とのこと。
「いいよ」
そして私は心の中で、Tくんいろいろ辛くあたってごめんね、と添えた。
にんじん学校でTくんと会うと大抵決まってひまわりの歌ができた経緯を話してほしいと言う。私は話し始める・・・
夏休みの夕方、教室にポツンと一人で座っていたんよ、すると窓のすぐ外のところに咲いているひまわりが先生のほうを向いて話し始めたんや、「おいにんじん先生、お前Tくんにきつくあたってるんとちがうか、え? それって先生としてどうよ、おい、にんじん」・・・え? あれ、ひまわり・・・お前しゃべるの?「なにいってんだ、おれしゃべるよ、で、どうなんだTくんのこと」・・・しばらく話が続いた。
ふと聞きたいなと思ってひまわりに話しかたんよ。それで、どうしたらいいのかって聞こうと話しかけたんよ。
するとちょうどその時、一陣の風がさあっと吹いてきて、さあっと吹きすぎていったんよ。
それでどうしたらいいのかってひまわりに聞いたんよ。
でもその瞬間もうひまわりはいつものひまわりに戻って風に揺れるばかりだった、先生は教室の中にポツンと座っているだけだったんよ。そしたらこの歌が心の中からわきあがってきたんよ。
Tくんは何度も何度もその話を聞きたがった。そして決まって「その風が吹いたのが合図だったんね」と言う。
そう、新しく一歩を踏み出す合図だったのだ。
「ひまわり」はTくんと私の合作なのだ。
2021/6/27 historyninjin
ひまわり
照りつける日差しに顔上げて
まっすぐに咲き誇るのは
校庭の隅に咲く鮮やかな
ひまわりの花たち
暑い夏の日差し浴びて身をよじるように
このひと夏の命を微笑んで抱き締めて咲いている
照りつける日差しに顔上げて
まっすぐに咲き誇るのは
校庭の隅に咲く鮮やかな
ひまわりの花たち
暑い夏の日差し浴びて身をよじるように
このひと夏の命を精いっぱい抱き締めて咲いている
照りつける日差しに顔上げて
まっすぐに咲き誇るのは
校庭の隅に咲く鮮やかな
ひまわりの花たち
暑い夏の日差し浴びて身をよじるように
このひと夏が別れの峠道何も言わず咲いている
※「このひと夏が別れの峠道(とうげみち)」は111年の歴史に終止符を打つ服部小学校へのお別れの気持ちを込めた言葉です。(^_^)/
ありがとう、服部小学校。
追記)
ライブで歌った「ひまわり」(2023/1/28) (*^^*)
https://historyninjin.hatenablog.com/entry/2023/01/28/213815