昨日ふと内海の島に行って来ました。
郷土史で意気投合した中学校のU先生と朝長い電話。最後にU先生が、今日わたし内海に行こうと思うのよ、というので、じぁあわたしも、久しぶりに教え子たちがどうしてるかなと思ったので行くことにしました。
教え子たちはなんと近くの室内プールに泳ぎに行ってますよというのでそちらへ。ガラス越しに見ていたら、向こうも気がついてワイワイ。(^_^)
教え子のおばあさんたちが家族全員で経営している横島に一軒だけある日用雑貨や食料品のお店「清十店(せいじゅうみせ)」でU先生と教え子のおばあちゃんとその妹さん、教え子のお母さんとわいわい話してるときに、急にU先生曰く「そうだ、にんじん先生、清十店の歌を作ったらどう?」と振ってきました。「いいね、そうだね、そりゃいいね」ということで引き受けて帰ってきました。
帰ってきて横になってうつらうつら。ふとメロディーがわき上がって歌詞をつけました。
タイトルは「横島の真珠、清十店」です。
どうでしょう? (^-^)/
1
春のそよ風のように優しく吹いている
微笑みながら心の中にそよ風が吹いてる
横島の真珠のように明るく光ってる
みんなの幸せを祈り今日もお店を開く
2
夏の暑い日差し浴びけなげに咲いている
ひまわりたちの笑顔のようにお店が開いてる
横島の真珠のようなわたしたちのお店
おじいちゃんの名前をつけたお店が今日も開く
3
秋のもみじに光ってる内海の島影と
海の命が育んできた瀬戸の内の光
横島の真珠のように明るく光ってる
清十店は明日(あした)を見つめ今日も明るく開く
4
冬の瀬戸内の中にやさしく佇(たたず)んで
小春日のような微笑み浮かべ朝日が差してくる
横島の真珠のように明るく光ってる
みんなの幸せを祈り今日もお店が開く
今日もお店が開く
ふとカレンダーを見たら7月17日。わたしの福島時代(須川町にすんでいたころ)のただひとりの幼な友だちM君の命日でした。
大学時代(たしか住み込みで駐車場のバイトをしながら夜間の大学に通って頑張っていました)、ある時発熱と体調の不良を覚え、東京から帰郷して検査した結果、脳に腫瘍が出来ていることが判明。一回目の手術(多分ロボトミーのような頭蓋骨を切り開いて、腫瘍を掻き出すという手術)では十分ではなかったらしく、二度手術。その際視神経を損傷。物が二重に見えるなどの視覚障害を起こし、自宅で療養。夏のある日(7月17日)、朝お母さんに散歩に行ってくるよと言って杖をつきながら家を出たとのこと。
リハビリのための散歩で彼の日課となっていたのでした。
しばらくして警察から電話があったとのこと。もう帰っていると思ったお母さんは、あわてて二階の彼の部屋に駆け上がったそうです。
座卓に一通の封筒。
「あっ(遺書?)」と思って開いて見たら、遺書ではなく、私が彼宛に出した最後の手紙だったとのこと。
きっと私に何か言いたかったのだ・・・。
別れも言わずに行ってしまった友だちのMくん。
「君のこと、忘れないよ。僕もそちらに行くだろうから、そのときはきっと訪ねて行くからね。それまで待っててね。」
不思議な夢の中で彼が現れ、寝ている私の足元から私にすがり付いてきた時、私は彼をぎゅっと抱きしめてそう言ってあげました。
すると納得したのか、夢の中で彼はゆっくり頷くと、よろよろと揺らぎながら立ち上がり、扉から廊下に出て、トントンと歩いて去っていったことがありました。
7月17日になると私はなかば涙のなかに彼を思い、黙祷を捧げる。そして一日中彼のことを考える。
亡くなった友だちのことを思って作曲した「君は今どこに」
https://historyninjin.hatenablog.com/entry/2022/07/17/195832