2023年1月14日、土曜日。(初めて読む人向けにちょっと説明的に書いてます) (^_^)
今日は、福山の沼隈半島の南端に位置する内海町(田島と横島という二つの島からなりたっている町)に行ってきました。もう統廃合でなくなってしまったのですが、内海小学校に勤務していたときの教え子に会いに行って来ました。
先に電話でアポを入れると、その子のお母さんも、本人もその妹も大喜び。知らない子の声が電話口で何か話すので、あなた誰?と聞いてもわいわい騒ぐのであれれと思っていました。後で聞くと、なんとその場にいた2才のいとこよ、とのこと。わお。(*^^*)
(霧に煙ってなんだか威容を感じる今日の鳶が巣山です。)
不定期に私の方から出掛けていってかつての教え子と地域のスポットになる所に出掛けたり、その場にいた人と話したり、子どもたちの行きたいところ(ほとんど近場で行けるところ)に行ってわいわいおしゃべりをしたりする、プログラム(カリキュラム)のない一時間ほどの課外授業(社会勉強)の場を私は「にんじん学校」と呼んでいる。
◆Tくんとのにんじん学校について・・・https://historyninjin.hatenablog.com/entry/2021/06/27/070729
電話で私はこう言った、「ちょうど先生ね、ぽかっと時間が空いたので、もしよかったら今から行って「にんじん学校」しない?」と。
すると、「わーい、いいよ」という大歓迎の反応。その言葉に甘えて車で約40分、午後3時前ごろに着きました。着いてからスケジュールの相談。
わいわい意見を出しあって、今日のスケジュールは、まず近くの海岸「しやごしの浜」に行って記念写真を撮る。決して海水浴はしない。(笑、汗) (^_^)
◆しやごしの浜についてはこれ・・・https://historyninjin.hatenablog.com/entry/2022/10/16/235039
(まんがり松が頭に生えた岩場です。このごつごつした岩場が例の「かんちょう岩」です) (^_^)
それから「にんじん新聞」(以前勤務していた小学校でふとしたことで始めた、にんじんファミリーが出てくる4コマ漫画、結構人気で子どもたちが寄ってきて漫画ちょうだい、先生紙ある?などとわいわい・・・)の現在勤務している小学校バージョンが8回分あるので、それをコピーして家族のみなさんとみんなにプレゼントしたいんだけど、という私の提案が受け入れられ、一旦島を出てすぐのところにある (島にはコンビニがない、他にコピーすることができるところが思い付かなかったので、) セブンイレブンに行くことにした。
(にんじん新聞のサンプルです) (*^^*)
A3一枚に4回分一度にコピーするとまとまってコピーができるので、二枚で8回分の「にんじん新聞縮刷版」が出来上がる。よしみんなでそこまでドライブしよう、ということになった。
みんなの分をコピーしたら、また戻ってきておばあちゃんや家族や、にんじん学校参加者本人にお正月の挨拶がわりのプレゼントにして配って、おしまいという計画を立てた。(^_^)
早速車で5分ほど、しやごしの浜に行って海を眺め、みんなで記念の写真を撮って、まんがり松(曲がり松)の生えている岩場に、しがみつくようにして登ったりおりたりひとしきりわいわい。
(ちょうど満潮で浜はみえません。にんじん学校参加児童の後ろ姿です。) (*^^*)
その岩場はかなりゴツゴツとしていて、所々尖った岩の先端がぽこんぽこんと出ていて、結構気をつけて登らないとちょっと危ない。教え子の妹(現在3年生)曰く、「うちね、ここに来て登ったこと何度もあるんよ。そいでね、この岩場にね、わたし名前つけたの」と。
私曰く、「何ていう名前?」、するとその子曰く、「かんちょう岩」。私、「えっ?かんちょう岩?、かんちょうってあの、お尻にするかんちょう?」、その子曰く、「うん、そう。そのかんちょう」、私「・・・」。
で質問した、「なんで?」、するとその子「あのね、ここにきて登ったり降りたりするでしょー。そうすると尻もちついちゃうのよ。そのとき、尖ったような岩の先がお尻にささるようになるから、わたしかんちょう岩って名前つけたの」、私「・・・お、おう、そ、そういうことか・・・ま、まあいいね、そういう意味でかんちょう岩か・・・」、私はおどおどしながら受け答えしていたが、次の瞬間、はっと感じるものがあった。見方を変えて見ると・・・
・・・「す、すごい!この子自分でこの岩場に名前をつけた! すごい! 面白い、最高! へー、かんちょう岩か、なかなかいいネーミングだ!」と思い直した。
わたしが作詞作曲するとき、おんなじような感覚で音楽を作り出すことを思い出した。そして「なんだ、同じやん」(^_^) ということに気がついたのだ。
「すごい、この子、自分が感じたまま、自然の一つ一つに名前をつけて、そうして肌で理解してるんだ。ふるさとをそうやって理解してるのか! すごい!」私は初め、かんちょうはないだろう・・・という思いを一瞬持ったことを恥じた。
そして天真爛漫に自然と触れ合いながら、遊びながらそのひとつに名前をつけたその子の心に写った自然の素晴らしさについて思ってみた。きっと、この子(この子たち)にとってふるさとの自然はとてつもなく楽しく面白く嬉しく輝いて見えるのだろうと・・・。
(お店の中をちょこっと撮りました) (^_^)
葛原しげるが童謡とはと題して彼自身のひとつの童謡論を展開している。葛原しげるにとって童謡とは、「児童の生活からおのずから生まれたもので、童心を童語でリズミカルに表現したもの (メロディーがついていなくてもかまわない)。自然界の神秘をも、人間界の不思議をも、すなおに感受しては、平明単純に、端的に、ずばりずばり表現したもの。明るく、楽しく、美しいもの、、、」とのことである。
◆葛原しげるの童謡論についてはこれ・・・https://historyninjin.hatenablog.com/entry/2022/05/29/005441
ガーンと頭を叩かれたような気がした。私は葛原しげるの言うことに共鳴し、それなりに創作をしてきたつもりだったが、この目の前にいるこの子ほど、自然の中で遊びながら神秘の世界にまで入り込んだことがあっただろうかと思った。
正直子どもってすごい世界を持っているんだなと、改めて思った。
さて、みんなでセブンイレブンに行ってコピーし、無事帰路についた。
そして帰り道、内海大橋という823メートルあり、途中の橋脚を作るとき、海底の岩盤を利用して船の航路を稼ぐため、わざと橋を中央から「くの字」に曲げて作られた珍しいつり橋を渡った。
色彩、形ともに景観にマッチしてとても素晴らしい橋だ。その内海大橋を渡り終わり、島に入って緩やかな坂道を下りながら、私はちょうどその日遊びにきていた、初対面の友だちも加えて3人の子どもたちに、独り言のように言った。
(ある晴れた日の内海大橋) (^_^)
「ああ、あのー、先生、今さっき左側に島(田島)の上の方に登って行く脇道があったでしょ、あそこからはいっていくと、小さな集落があるのよ。実はそこに「水野勝成神社」っていう神社があるんだけど、地図でしか見たことがなくて、いつか行って実際に見てみたいなーってずうっと思ってたのよ、でももう過ぎちゃったし、暗くなるといけないから、このまま帰るねー」と。
するとそれを聞いた一番年上の女の子(私の直接の教え子、小学4年生)が「わたし、行きたい!」と言い出した。
「いや、もう入り口すぎちゃったし遅くなるといけないからダメだよ」と私。
でもその子はなぜか「でもわたし、それ見たい」とのこと。私も、そうかそうだなと思い直し、車を方向転換して山に向かう脇道にはいることにした。
(右手端ぎりぎり見えるのがミニ筋鉄御門(すじがねごもん)のような門です) (^_^)・・・海の向こうに見えるのが常石(つねいし)造船工場地帯、なんでも8万トン級(最も活躍する中堅クラス、メイン中のメイン)の貨物船建造技術にかけては断トツ世界トップなのだとか、郷土史の先生があつく語っていました。(笑)
車一台やっと通れる片方が崖のような山道を5分ほどのろのろ運転でいくと、やっと集落が見えてきた。
随分古い集落だとピンときた。民家の作りも半端ない、昔の建て方の家がほとんど。まるでタイムスリップしたような風景の中をのろのろ進んでいくと、急に道が、海側にガクンと折れ曲がり、くだり坂と山側に登る道の二手に分かれているところに出くわし、私はひどく困惑した。
目指す水野勝成神社に行けないまま、終わってしまうのか?一瞬そう思ったが、これしきのことで諦める私ではない。
すぐ近くにかなり大きな門(単なる門ではなく、昔のお城に見られるような櫓(やぐら)のような作りの一種壮大な門と言えばいいのだろうか、そんな作りの門、福山城で言えば、築城当初からそのまま今も残っている筋鉄御門(すじがねごもん)の小型版のような門なのだ・・・)のある家があったので、車を止め、その門から家の中庭に入っていって声をかけた。
◆福山城の筋鉄御門・・・https://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/koho-detail50/koho-202203/251837.html
あとから写真を撮ってきました。これです↓
内側から見るとこうなってます↓
200年は経ってます
ちょうどそこにおられたのはその家の主の奥さん、といっても80近いおばあちゃん。
ざっと訳を説明すると、すぐ上にいったところに神社があるよと教えてくれた。お礼を言って別れ際、私は何気なく聞いた。「あのー、この家すごく立派ですね。向かいの家など、完全に時代もの、しかもかなりしっかりと作られていて、少しくずれかけているけど、これはすごいですね」と。
(話しているのは門のある家の主、左側が私。見えているのは向かいの家、崩れかけているところがあるが、家としての作りは見事なもの。しばし立ち話。)
するとおばあちゃんが話し始めた。・・・うちはできてからなんでも200年経つのよ。母屋はさすがに傷みがひどくて建て替えて今のようになったんだけど、門はどうしようかとなったとき、昔教育委員会にもいたことのある主人が「これはダメだ、壊しちゃいけない」とそのままにして残したのだそうだ。
ちょっと立ち話で、すぐに神社を見て帰ろうと思っていた私だったが、話は終わらない。
(もう廃屋に近いのですが、それでもただ者ではない家の作りです。すごい!この家のすぐ左が水野神社) (*^^*)
おばあちゃんの方からなぜ水野勝成神社がここにあるのかその由来を話してくれた。
なんでも昔この辺り一帯が大洪水で飢饉になったとき、困窮する村人たちのことを案じて、なんと水野の殿様が周囲の村落の年貢を(数年間に渡って?)免除してくれたのだそうだ。そのことにより、村は悲劇的な状況を免れ、再建することができたのだとのこと。そのことを記憶に止め感謝の思いを刻むために、この水野勝成神社は建てられたのだとのこと。
そんなこんなを話していると、屋敷の奥のほうから、当屋敷の主(あるじ)が話し声が聞こえたらしく、出てこられた。
いろいろ訳を話すと、嬉しそうに目を細めて、門の由来や、昔の屋敷の詳しい間取りなどについて教えてくれた。私は目を輝かせて聞いた。
こんな話、他のどこに行っても聞くことはできない。聞くとするなら一生のうち今日この場限り、私にはそう思えた。先人の生きてきた歩みやその苦労に胸が迫ってくるような思いになった。
(水野神社の由来の掲示板、なんと去年福山城築城400年を記念して作られたものとのこと)
それと、ちょっと特筆するが、戦争中、現在内海中学校があったところが砂浜で荷物が陸揚げできるような港になっていたとのこと。そして米軍(米海軍の艦隊)が近づいているという情報を察知すると、福山の現在日本鋼管のところにあった、大津野飛行場からフロート付きの戦闘機をこちらに退避させ、砂浜を移動させて山際に作られた大きな迷彩を施した倉庫のような建造物 (または覆いのような構造物) に隠したのだということを教えていただいた。
郷土史の好きな中学校の先生が関心を持ってそのことを調べていて、ざっとその内容を、私はだいぶ前 (2年半ほど前だったと思う・・・) 聞いていたので、少し私の方から、もしかしてご存じですかと話し始めると、その方がああそうそう知ってるとどんどん話し出されたのだ。
初めて生き証人に会えた!
そして瞬く間に、頭の中にその知識とイメージがズシンと入り込んできた。
こんどその郷土史で意気投合して友だちになった中学校の先生 (現在は退職され、放課後デイの講師をしておられる) と今度会ったら、そのことを話してあげようと思った。
◆郷土史の話で意気投合し、友だちになったその先生についてはこれ(中程のところ、箸墓古墳に行った時のことなど)・・・
https://historyninjin.hatenablog.com/entry/2022/10/16/235039
大きな門のある家の主に私が、内海小学校時代の教え子とふるさとの隠れた素晴らしさを見つけるため、今日はちょっとこちらに来てみたんですよと言うと、かなりの年齢の主は、改めて子どもたちのほうを向いて挨拶しながら、しみじみと水野勝成のことなどを話してくれた。
(静かに佇む水野神社、地域の方たちは親しみをこめて「みずのうさん」と呼んでいる) (^_^)
お礼を言って少し行ったところにある水野勝成神社に行き、神社の由来が書かれた掲示板を読んだり、お宮にみんなで手を合わせたり、記念写真を撮ったりして、また、戻って屋敷の主に「みんなで、水野の殿様ありがとうってお礼を言ってきましたよ」と挨拶し、そこを後にした。
細く険しい車一台がやっとの山道を伝うように降りて、内海の島のメインストリートに出、やがて教え子の家に着いた。ほっとした。
今日のにんじん学校は、課外授業のなかにさらに課外授業が挿入されたような特別バージョンだったなと思います。
教え子の家 (内海町の横島で唯一の食料品を中心とした雑貨屋さん、清十店、せいじゅうみせ) に着いて、おばあちゃん、お母さんにちょっと遅くなった理由を説明し、漫画のコピーを差し上げ、挨拶して帰ろうとしたら、なんとその子のおばあちゃん、内海の近海で獲れたばかりのげんちょう (舌びらめ) 数匹と、取れ立てのワカメを大盛り、包んでお土産にと渡してくれました。
これは清十店をイメージして作った歌です。(*^^*)
https://historyninjin.hatenablog.com/entry/2022/07/17/032356
何度もお礼を言い、今度2月に福山の神辺である童謡を歌おう会の話なんかもさらりと教え子と交わして、手を振ってお別れしてきました。
天国というものがもしあるとするならば、例えばこんな日常の楽しい生活が毎日続く世界のことを言うのかも知れないな、と思いました。もしあるとするならばの話ですが。
(帰り道で見た鳶が巣山。霧が少し晴れて輪郭がはっきり見えます。今日一日私たちを見守ってくれたようです。(^_^) ありがとう、鳶が巣山!)
世界は半ば、大変な混乱と殺戮に満ちた争乱に彩られていることを考えると、今日わたしが体験したこの世界との違いは、一目瞭然。
一体これは何なのだろうという、錯綜した葛藤を心に感じながら、帰り道約40分の道のりを安全に気を付けて車のハンドルを握った。
かなり外が暗くなってから、私は家内と白と黒の猫二匹が待っている我が家に、なんとか無事に辿りついた。(^_^)
2023年1月14日の「にんじん学校」でした。
(楽しかったね!またね、バイバイ) (*^^*)
●ニュース
鳶が巣山と水野神社をコラボした一曲の歌を作詞作曲したので、録音ができたら、後でアップします。お楽しみに。(*^^*)
※ 2023/1/16下記追加しました。(*^^*)
「冬の内海」(ひとひの思い出) 歌詞
霧の中に静かに浮かぶ
鳶ケ巣(とびがす)山の冬の姿よ
みんなで行ったしやごしの浜
山道をたどってやっと会えたよ
水野の殿様の小さな山の神社
みんなで手を合わせてお礼を言った
思い出胸いっぱいに明日に向かおう
今日の日のこの出会いに心からありがとう
2023/1/15 作詞,作曲 historyninjin
(^-^)/