この「なくなったもの」の歌いかたに変化が生ずるようになったのだ。数年前の「童謡を歌おう会」の時だった。一緒に参加するTくんがAmaj(イ長調)で歌うと、音程が低くて歌いにくいのだ。どうしたらいいかなと思っていて、ふと、最初のオリジナルの歌いかたから離れて、最初からCmaj(ハ長調)で歌ってみようと思ったのだ。
最初からハ長調で歌うと同時に、1番を最後にもう一度繰り返すという歌いかたにも執着せず、1番を最後にもってくるために、2番から歌いだそうと考えたのだ。時間を短くして、端的にテーマに入るためでもあった。
あとから思うと、なにげない、たいしたことのないようにも思えるのだが、オリジナルの歌いかたで20年近くきた当の私自身にとってみると、画期的なことだった。
そして、童謡を歌おう会でその歌いかたをはじめて披露したのだ。それがTくんと歌ったこれ。(^_^)
内海小学校で教鞭を執るようになって、私ははじめは色んな歌を朝の会で歌うようにしていたのだが、2学期にはいってからどういうわけか(朝の会を短時間でまとめるため)「なくなったもの」の金子みすずの友だちの豊(ほう)ちゃんがでてくる2番だけを、子どもたちと一緒に口ずさむように歌うことにした。
いつかゆびきりしたけれど
あれきり逢わぬ豊ちゃんは
そらのおくにへかえったの・・・
亡くなってしまった幼な友だちを思って金子みすずがその友だちに捧げた追悼のような部分だから、普通は歌わないのだろうけれど、あと1年でこの内海小学校は幕をおろし、新しい学校へ統合されていくと思うと、亡くなったからと言って友だちを忘れてはいけないのとおなじように、内海小学校のことを忘れないためにも、私はあえてこの歌詞で歌おうと思ったのだ。
この歌が後に(閉校するようになるわずか一週間ほど前に)「内海小学校はなくなるけれど」という替え歌になるとは、そのときは思ってもみなかったのだが・・・。
内海小学校の私のクラスで歌った録音が下記。とても内海の町のことを学んで自分たちの町を誇りに感じている思いが、歌に表れているなと私には聞こえる。
(3)に続きます。(^_^)
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