「あなたと二人で」
曲がりくねったはるかな峠の道
あなたと二人で歩いてきた
雨にうたれて風に吹かれながら
あなたと二人で手をとって
どんな時も笑顔を忘れずに
くちびるに歌をたやさずに
峠の道にも虹の橋 かかって青い空が微笑むよ
曲がりくねったはるかな峠の道
あなたと二人で歩いてきた
雨にうたれて風に吹かれながら
あなたと二人で手をとって いつも
作詩・作曲 2023/4/29 historyninjin
あせび:花言葉・・・あなたと二人で旅に出る
マリーゴールド:花言葉・・・可憐な愛、逆境を乗り越えて生きる
ニスが剥がれて紙粘土が露出していたのを修復して輝きをとりもどしましたよ。左から「ムンクくん」「なんでくん」「バトンくん」下が「トマトちゃん」(*^^*)
追記(◆ウイグル詩に見る二人の愛)
ウイグル(東トルキスタン)の人々の辿った過酷な歴史的な路程が反映されて、単純には語れない二人の愛がある。その苦悩の世界を自分なりにだが飲み込んだ上で、今日一曲の歌を作りました。
昨日作曲した歌「星空の物語たち」と同様に、先にメロディーが浮かび上がりそのメロディーが語りかけると思われる感覚的につかんだ言葉を紡ぎだして作詞するという手法で作曲した歌です。「明るい朝」も同じ。私の場合作詞・作曲の曲のかなりがこの手法で作られます。
一方、ウイグル詩への作曲の場合は、詩それ自体が既に完成し、完結した作品としてそこに存在していて、その言葉(日本語に編訳された詩の言葉)の音韻的な響きを探ってメロディー化するという手法を使って作曲しています。一部の作品は、言葉の音韻を完全に離れて、詩の意味(テーマ)から受けたインパクトを直接メロディー化して、それに原詩の内容から演繹された日本語を載せて作曲するという、一種の離れ業をしています。
例えばこれ「ウルムチ」
https://ninjinmusic.hatenablog.com/entry/2021/09/16/071052
これらの手法は誰から教わったというものではなく、独自に心の中から沸き上がってきたものと言えます。幼いときから読書が大好きで、父が兄や姉たちに買って置いてあった、講談社の少年少女世界文学全集数十冊が本棚にぎっしりと並んでいたので、暇さえあれば片っ端からそれを読みふけっていたことが、私に言葉に対する感性を与えてくれたのではないかと思います。
それと40才前後に忽然と心の門が開いて作曲できるようになったことが相まったのでしょう。ある人が「全ての芸術の淵源は詩である」と言っていたことが妙に頭に残り、ふーんそんなものかなとずっと考えてきたのですが、その指摘も間違ってはいないなと最近思っています。
今でも記憶にズシンと刻まれている作品は、例えば、イタリアのデ・アミーチスの児童文学作品「クオレ」。何度も何度も思い出すたび、気になったときに繰り返して読みました。イタリアの愛国少年の話など、鮮烈に心に刻まれて、忘れようにも忘れられない記憶となっています。
「(男女)二人の愛」を扱った詩の中で、私にとって忘れることができない詩があります。「愛は嘘から始まる」という詩です。深刻な内容を踏まえながら前向きに人生のテーマを捉えています。日本語の世界には見られない率直さと悲しみを包み込んだ忍耐の魂を感じます。どうぞお聴きください。
ウイグル詩へのメロディー「愛は嘘から始まる」
https://ninjinmusic.hatenablog.com/entry/2021/05/29/212413
追記(◆読書がもたらすもの)
大学卒業の時に私の専門(教育)とは別でしたが、1年の教養部の時、授業で受けた講義の内容がなぜか心に響いて、自分からその方の研究室に出掛けていって、何度かいろいろと個人的にお話を伺った教授がいました。行くと必ずご自分で紅茶を入れて、ちょっとしたクッキーなどのお菓子を出してくれました。(*^^*)
専門は経済学。なんと後から知ったのですが内村鑑三の無教会キリスト教の方で、矢内原忠夫の弟子とのこと。卒業の時にその教授から内村鑑三の著、文語訳の「代表的日本人」という岩波文庫の小冊子をプレゼントでいただきました。
内容が非常に面白かったので、社会人になってから私はことあるごとにその本を読みふけり、軽く百回は読んでは考え、考えては読んだと思います。
学生時代にプロテスタントのキリスト教に触れ、洗礼を受ける直前まで行って立ち止まり、その教会から離れて一人で思索して本当に自分が納得できるものを探そうと歩んできましたが、その私に大きな論理的光を与えてくれたのがその「代表的日本人」でした。
うっかり電車に置き忘れたり、読んですりつぶしたりなどして、何回か自分で買い求めて読み続け、読みふけりました。文語体の表現が頭のなかに染み付いたためでしょう、ある日口語訳の代表的日本人が本屋にあったので、手にして読み始めて十数秒後、まるで違う本を読んでいるような違和感を感じて、すぐに本を閉じてしまったほどです。文語の重厚な世界にそれほどコミットしてしまったのです。
もう一冊社会人になってから読みふけった本がありました。渡辺昇一の「知的生活の方法」。これも数十回読み続けました。頭の中で日本の特に江戸時代の歴史を思い浮かべ様々な思想家の足跡をたどり、本当の知的生活というものはどんなものかなと憧れたものです。
洗礼は受けなかったけれど、聖書そのものを解読できないかと思って聖書考古学の観点からの著「歴史としての聖書」や、山本七平の聖書論や「ユダヤ戦記」など戦争体験論など実存的世界に関心を持ったりしてきました。子育てが始まってから、自分で買う本の量は激減してしまいましたが、パソコンが出現し一般化してからは、一気に関心のある世界がクリアに身近になり、デジタルデータでダイジェスト的な傾向のものが大半ですが、毎日読書に向かっています。
そんな中で出会ったウイグル文学は、鮮烈を越えて過酷な悲劇的歴史の色彩を帯びて映り、作曲の世界が開かれていきました。日本語の詩への作曲とは異質な世界が目の前に開かれ不思議な感覚にとらわれてしまいました。以下、ウイグル詩に読み込まれた二人の愛をテーマとした曲をアップしておきます。何かの閃きになればよいのですが・・・。
2023/4/29 緑の日記
ダスマン(長編叙事詩)より、「私は待ち侘びていた」
https://ninjinmusic.hatenablog.com/entry/2022/01/26/021801
※この詩にでてくる『「気を失った木の枝先」「垂れ下がった氷柱の中」「毒を持つ棘の先端」「憂鬱な雪の華の鋭い鋒先」「迷える老いた烏の翼の先」』という一連の表現の発想を借りる形で「あの鋭い枝の先に宿る一滴(ひとしずく)の露の中に」という言葉を編み出して作詞に使ったオリジナル作品がこちら
https://historyninjin.hatenablog.com/entry/2022/07/17/195832
ウイグル詩「恋の歌」へのリンク
https://ninjinmusic.hatenablog.com/entry/2021/12/18/101217